日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

専門性について

(記事を書けないのでメールを引っぱり出してみる。「あなたまだまだ未熟ね」という感じの指摘を受けて、ふだん考えないことを知恵熱をだしながら書いた。相手の了解は多分OK。自分のことしか書いていないし・・)

Sさん

Sさんと話すのは自分を見直すのに良いですね。ちょっとしんどいですが。。
お察しのとおり話をまとめるのが苦手なので、箇条書きのようになってしまいますが、ご容赦ください。

「いろんな意味で素人」と書かれて、最初はガーンとなりましたが、自分も30を過ぎて頑固になっており、すぐに「うまく伝わらなかったみたいだ」と思い直しました。

・「素人」だと見られることは好ましい。ただし「知識も経験も備えた素人」じゃないといけませんが。とくに利用者が養護学校のなごりで職員を呼ぶ「先生」よりずっと良い。

・Sさんが言う「専門性や知識は必要か」には答えるまでもなく必要です。ずれているかも知れませんが「国家、お金、法律が必要か?」という質問に「必要。ないと困るでしょ」と答えてもしょうがないです。その仕組が出来上がって運用されている以上、ぼくが問題提起するのは「要らない」ということではなく「その仕組に入っていない問題はないか」「仕組みに歪みは起きてないか」ということです。
・自動車の専門家と、人や社会を扱う専門家は同じには見られません。物理の原則は不変ですが、人の関係はそうではない。障害者を守り訓練するのか、社会の方を変えるのか、出発点を間違えて、それを深め理論を作る専門家は脅威です。ノーマライゼーションのことです。これだって専門家から出た考え方ではなかったと思います。

・医者で言えば「名医」がいます。知識と経験を持ちつつ、人間的な配慮も広い視点もある。そんな専門家はもちろんなれなくても目指します。
・かんたんに「専門家」になれる。学校で資格をとって、独占に近い業務に付けば形式的には専門家です。
・専門家ではなくても、特定の役割を持たされたときに権威や、強制力が生まれることへの恐れがもっとあってもいいと思います。
・施設で数十人を一人か二人で見るとき、僕自身は初めのころに比べると「権利擁護マニュアル」になんとか沿った対応はできつつありますが、なぜ出来るかというと「いざ危ない状況になったら、どうにかしてコントロールできる」という自信が、つまり力があるからです。それはきっと利用者に伝わるでしょう。でもその自信がないと怖くて利用者を制限しがちです。その矛盾に悩みながら仕事してます。

・最近の障害者福祉のスローガンには「障害者福祉の第一世代は地域移行を進めた。それで第二世代は『施設を知らない』。いまの世代は『障害者福祉を知らない』」というのがあります。
・先生には釈迦に説法ですが、障害者の支援をからめて過疎の町をシャッター商店街を活性化する。ユニバーサルデザインは、一般向けの商品の競争力を高める。町づくり、町おこし。障害者福祉の専門性、と言った時点で、ある人を取り囲む大きな世界を取りこぼしてしまう恐れもあります。もちろん全て含むのだと分かっていればいいのですが、「名医」でない専門家はよほど注意が必要です。

・知識に乏しい、自分の近辺では「専門性」の代表は「障害種別による専門知識」です。新人が施設に就職すると、きれいに障害種別と障害程度で分けられていることを体で覚えていきます。そこから始まる専門性には不安があります。

またまた出勤時間なので中途半端になります。断定的に書いているところは「・・だと思うんですがどうでしょう??」を付けて読んでください。

・当事者運動。何も知らない頃、ショート利用していた若い高機能自閉症の男がいて、休日に「僕は何も知らないから、やってる活動や人を教えて」と頼んでいっしょに出かけていました。(略)本人の口から聞き、いっしょに行動して知ることと、人の言う事の違いは大きかったです。本人に合う前から、声も知らずに、紙を読んだだけで知った気になれる。それは絶対必要な技術ではありますが、怖いことだと思います。
・性の支援。何も知らない頃から、バイト先の身体療護施設で、風俗に連れて行く仲介や介助をしています。介助の現場が合わないと思って相談業務を選ぶ人も少数でもいるでしょう。そういう人には想像もつかないニーズだと思います。

「専門性や知識は大切」というSさんの指摘に反することはないと思っています。専門性の持つ怖さを知った上で、道具として知識と技術を取り入れる。ただ、僕は日々の業務にかまけて、必要以上に避けていたということです。

(エラそうに書いているけど、この仕事の必要なものが根本的に欠けている自覚はある。地震のニュースを見ても「障害のある人たちは大丈夫だろうか」と心は動かなかった。欠けているから、欠けている他の人を巻き込むことは出来ると思っている)