日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

素晴らしき哉、クリスマス。

映画「素晴らしき哉、人生!」を見なおそうと思っていた。24日は、前半を見て寝てしまった。前半の盛り上がりのなさは「スミス都へ行く」に通じるもの。

数年前に初めて見て「一番好きな映画かも知れない」と何人かに勧めた。でも、見直してなかった。

あんな分かりやすいハッピーエンドで喜んでいたのはなんでだろう。昔話みたいな「正直じいさんは末永く幸せに・・」っていう終わり方。そんなに善じゃないよな、30代の世間は。

でも、前回は泣かないようにまばたきし続けていた。確かめるためにもう一度見てみる。
ぼくが泣いていたラストは無くてもよかった。その前がよかった。生きる希望をなくした主人公が、おっさん天使の計らいで「生きててよかった」と思いなおす。そこから大急ぎで家族のもとに走る。叫びながら。

ここがクライマックスなんだけど、このまま終わると、主人公は自分の会社を失い犯罪者のままだ。このまま終わると歴史的な名作になっていたかも知れない。(追記:すでに名作なんだけど・・もっとこう「人間賛歌なのかストレスで発狂したのか」という問題作とか、「隣人愛も妄想も紙一重」というキツいテーマとか)でも、愛される作品にはならなかっただろう。

それで「犬が(略)小判がざくざく」ってオチをつけた。ぼくの乾いた涙腺が温まってきて、ここでやっと感動が追いついたわけだ。

何が良いんだろう。ジェームズ・ステュアートひとりで騒いでいる。演技の力か。この人の手足が長いのも1つ。ピエロみたいな読めない表情が、逆に観ている人の感情をかきたてるのかもしれない。

このシーンは「無条件」だと思う。天使なんか居なかったかもしれない。主人公が急にひらめいただけかもしれない。それでも、見える世界は一変した。「2番目のラスト」は条件付きだ。まわりに善意ある人がたまたま多くいた。理解ある奥さんだった。金額が大したことなかった。

走るシーンは、どんな境遇の人でも、不幸が軽くても悲惨でも、周囲の善意があろうがなかろうが関係ない。だれにも備わっている無条件の力。それは思い込み?いや「精神の貴さ」ですか。

「メリークリスマス!ポッターさん」あらゆる策略をつかって、主人公を破滅に追い込んだはずのポッターさんは、リアクションに困っている。すべてを手に入れたポッターさんの不機嫌な顔と、すべて失った主人公の満たされた表情の対比がいい。他の役者がやったらどうだろう。やっぱり長い手足が一番よかった気がする。

タイトルは付けたけど、クリスマスは素晴らしいことはなかった。