日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

バウル


仕事では、釘を刺す先輩も上司もいなくなり気楽にやってる。横のつながりも出来ていて毎日楽しく。調子に乗りすぎだと思っていたら指摘され、仕事も全然できてないことに気づいて落ち込む。今月は行事がいっぱいでキツいことも出てくるだろう。

職場の「メンタルヘルス友の会」の相談にのれない。共感できる時期も過去にわずかにあったかもしれないが今はできない。フリをする技術は人並みについたけど、心身ともに健康で幸せな自分が関わるのは、彼らにとって「毒」な気がする。そもそも誰かの力になりたいがなれない、っていう「健康的な悩み」しかない奴が来たら、当時なら気持ち悪くて避けていただろう。
今月は、友の会の「出口のない日常」がすこしは分かるかもしれない。自分はこんな気分のとき何をして戻していたかな。障がいのある人もいる「居場所」に昼を食べに行ったり、介助の要る人と出かけたり。考えてみると、同僚以外の友人は障害のある人ばかりだ。これは「介助の必要性」という特殊なつながりが無ければ人間関係が作れない奴ということなのか。自分が受け入れられそうなところに出かけていく。それは弱い立場だったり、誰にも相手にされない人が多いかもしれない。

相手の弱みにつけこんでる。やり方はせこいけど狙ってやっていることでもある。若い頃の、ただ群れて遊んでる連中だって、若さゆえの不安の中で独りぼっちにならず「安心して時間をつぶす」介助をお互いにやってる。必要とされて充実感を味わうように人間はできている。今は狙って選んでいても、もう少し年をとれば、そういう関係しか無くなって、気にもならないと思う。

不眠は共感できそうにない。よく寝て、ボーッとしているとドアが叩かれる。「荒木くん!荒木くん!」ガンガンガン。大家さんが立っている。「荒木くんは、いまええ人はおるのか?」バシッと小指を突き出して。結婚相手を探してくれているらしい。元気な90歳のキューピッドは悩むヒマもくれない。もうどうでも良くなった。

バウルとはインドの「音楽で暮らす民」で、独自の宗教、思想を持っている。この遭遇をどう書けばいいのか分からなくて、違うことを書いている。つまんないな、と思っていると面白いことがやってくる。という感じかな。

バウルの歌
バウルの唄2010 ~ベンガルの吟遊詩人達による愛のうた~-癒しと気づきの空間「テイク・イット・イージー」コミュニティポータルサイト

これも足助の奥地でのこと。山の中に畑と民家が点々とある。山ばかりで、軽トラが通るための道がかろうじてついている。ライブ会場はそんな中の一軒家だった。たくさん人が来ている。ヒッピーみたいな人が多い。どこから連れてきたんだろう。名古屋でもエスニック雑貨屋の店員くらいしか見ない。「ここは、普段はどういう場所なんですか。家ですか?」答「何してるか説明は難しいな。・・瞑想なんかするところです。」

演奏は最高だった。無口な太鼓叩き以外はみんなソロで歌える。今記事を読んだら、もともと一人で舞台を作れるような人ばかり集まっている。誘われてうっかり来てしまった村のおばちゃんたちも「声がええな」と感心していた。案外こういう素朴な音楽はナチュラル系ファッションの人たちより分かるのかもしれない。でも、濃い演奏が、なんと3時間半も続く。おばちゃんたちは途中で帰ってしまった。

一番怖そうだけど一番陽気で渋い演奏の、ギターみたいな楽器弾きのおじさんは演奏の合間でうとうとしている。そっと小さな缶を開けて、あやしい粉をなめていた。番が回ってくるとばっちり決めてくる。

さいごは、みんなで自由に歌って踊ろうコーナーの後、手をつないでマントラを唱えて終了。とっさに輪から抜けだして、眺めていた。インド旅行の時から変わらず「踊ろうよ」と言われても踊れない。すみで静かに聞いていた女性が、頭を振って踊り狂い始めた。やばい集会にも見えたけど、そうやって入り切れない自分にも残念だ。

北海道旅行では、たまたま「アイヌとアメリカ・インディアンの文化」がテーマで、歌や踊りを競演する渋いイベントを観た。アメリカからの人は、名の知れた芸達者な人たちだったけど、アイヌは保存会という感じの素朴な方々。アイヌの歌があんなにかっこいいとは思わなかった。輪唱とか引き込まれる。こういうものが消えかけているのは残念だ。

これからは民族芸術だ、と、足助で拾ったパンフレットのインド舞踊を観にいった。これはきつかった。インドでよく見た微妙な体型のおじさんが、化粧して半裸で踊りまくっていた。その後名駅のインド料理屋に行く。インドに負けないように。カレーはうまかった。