日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

がんばれ仙人

仙人の通院に付き添う。

医師「説明が足りないって言うけど、わたしが何度言っても、あなた聞かないでしょ?」
仙人「わしはですな、いま社会的な活動を始めておってですな・・悩んどる子どもたちにですな・・(中断させられる)」

ぜんぜんかみ合わない。

病院の心ない対応はインターネットに公開するぞ、と脅すようなことを言う。病院側からすると「モンスター・ペイシェント」かもしれない。でも医師の方も「たいがいな」態度なんで、お互い様かと思った。(この地方では「たいがい=どうしようもない」と使う。「たいがいにして欲しい」が短くなったのか。よく短縮する)

この日記はまとまりそうにないけど、これからも仙人の通院には付き合おうと思う。やつも一派か、と白い目で見られながら。(この大病院では、ちょっと知られたクレーマー?になっている)

「医療」は、僕もしてる「ケアする仕事」の中ではお父さん的な存在で、歴史も技術も別格だ。たぶん「ケアする仕事」の暗い面も一層深いと思う。ただ、つぶれる病院はあっても「つぶれる福祉施設」はあまりないので、医療の方が自浄作用は働いていそう。

「いい病院(施設)を作ろう」「患者さま(利用者さま)が望むものはなんだろう?」「遠慮して(コミニュケーションが困難で)言えない方の声を聞こう」と意見箱とか置いて、「様」付けてみよう、とか改善していって・・

善き医者が(支援者が)善き患者(利用者)の声を聞いて良いものをつくる。「お父さん的」と書くとジェンダーな人から怒られそうだ。父権的(パターナル)「パターナリズムを」

旧型の集団処遇施設の職員

「悪い」患者が「悪い」医者や病院と向かい合う。福祉に染まれない「悪い」利用者が「悪い」制度や施設と戦う。仙人と、かわいそうな利用者をいっしょにするな、と言われるかな。でも、悪意のない貴重な「もの言う患者」です。「あの医者は人間を見ようとしていない」わりと正論を言う。でも感情的で、時に自分勝手で、話は伝わらず共感しづらい。

でも知的や精神に障害のあるグループなら普通のこと。手順はよく分からないけど仙人にはがんばってほしい。