日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

スーパー大学生(年度末3)

ヘルパーの日記は、アメニティで会った「スーパー大学生」を意識して書いた。職場にたまに来るアルバイトや実習の子に、バイトも趣味も「生活が福祉」な人は多い。「ブログ見に来てください」とアドレスの入った名刺をくれた。

このエネルギーをスポーツに使えばオリンピック出るんだろう。ここまでの人は初めて見た。人が好きで前向きで、同じヘルパーの日記でも楽しそうだ。そんなに楽しくもないし好きになれない。酒の勢いで、えらそうなことをしゃべっていたのが悔やまれる。


名護バスターミナルの食堂。こういう記事は読みぐるしいので嫌だけど、とりあえずオチをつけないと。トリミングしようと思ったけど、このままでもなんか好きな写真だ

個別支援計画の評価というのをやる。どこの施設でもやってる。上司からはひどい出来だと注意された。実施されてないし、計画じたい手抜きじゃないか。

自分もふくめた同期のだれかが異動になりそう。お荷物なので動かない自信があったけど、微かな可能性が出てきて怯えていた。ここ数日人事が出そうで食欲がなかった。

無計画というより「アンチ計画」人間なのに、人の計画なんかできるか。指導も指示も苦手。自分が、人が言うことの意図を理解するのが苦手だから。「その人に合った活動を提供する」ことすら、そういう役割から逃げようとしてる。ひどい支援員だ。自分の「活動」は、人が決めたものは苦しかったし、自分で選んでもない。衝動的にそっちへ突っこむか、ほったらかしていたら逃げ場がなくなったか、どちらか。

職員会議の前の晩に、部屋で考えている。↑の言い訳は、ヤル気のないバイト時代に思っていたこと。こんな仕事は無理だなー、と。何も変わっていない。もし飛ばされたら心を改めてがんばろう。避けてきたことに取り組まねばならない。今はいい上司と同僚にかこまれ好きにしているけど、自分の成長のためには必要かも知れない。・・そんな覚悟が果たされたことは一度もない。

今は「計画」が大事なことは分かっている。3年も支援員やってて、子供っぽい理屈で逃げているのはどうしようもないと思う。治らないとも思う。悪いパターナリズムに陥らない免疫がついた、と前向きに考えている。

3月に人が辞めるのはいつものこと。自分と似たヤル気のないのがすぐに辞めるのはつらい。スーパー大学生になれない、計画と指導もいまいちな人に、仕事のおもしろさを知ってもらう。それは自分の役目な気がしている。逃げまわっていて役目は果たせなかった。