日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

愛光園(年度末2)

愛光園の実践発表会に行ってきた。重度心身障害者の通所施設ができて20周年ということで、今回は記念対談とか発表もそっちが中心になっていた。

全国で3番目だったそうだ。対談で話された横浜の「朋」の日浦さんが最初で、昨年アメニティで発表していた青葉園の清水さんが続く。重心の方々を病院から引っぱり出すエネルギーははんぱでは無く、女二人が壇上で燃え上がっていた。清水さんも参加の予定があったらしい。アメニティでは神がかり的なオーラを出していた。会に参加していたらどうなっていただろう。

よその法人の職員が癒される会だ。ここの現場の職員は、いやいや来てるかも知れない。みな緊張してる感じだし。大きな法人でこんな感じならいいなあ。皿井先生が今年も怒っていた。「本人が一番目。経営はあとでいい。経営できなければ知恵を出せ」管理職がみんな来ていそうな会場は、何ともいえない空気になるけど、こうやって40年間人を(モノも)惹きつけ、人を育ててきたから、立派な経営だとも言える。


蔵王。文章と関係ない写真をのせるのはイヤらしい気もする。今回みたいな偉そうなことを書くときは、意味ない写真があると書くのがラクになる。なぜか。

その通所施設、障がい者活動センター愛光園の発表のしめくくりのスライドから。「人は人の中で評価されることで、自分の存在を確認し、輝きを増すということ。」「人を変え、社会をも変える力を持っているといること。」「この人たちの社会における使命」

愛光園を育てた廣瀬さんが対談のなかで話す。「職業は笑顔」「出来ることは良いこと、という価値観を崩したい」病院にしか適用されなかった制度を、協力的な県職員が「愛光園には実績がある」と省庁を説得し続け、通した話にはまいった。浪花節に弱い。
いっしょに行ったT氏は、昔なら重度心身障害者のあつかいだったけど、今はメカの力でそうでもなくなっている(こんな適当な分け方したら怒られるけど)。廣瀬さんの話に出てくる当時子供の一人だ。「笑顔はいいけど、心は清くないよな」とからかって2人で笑う。美しすぎる発表がくすぐったい。「障がい」はアバウトな概念で、障がい者もいろいろ。重心の人たちと日々関わっているとそうなのか。

やる気のないフリーターに、この仕事を選ばせたのは彼だった。自分も「人を変え」られた本人かもしれない。バカにできない。選択肢はあまりなかったけど。

当事者活動をサポートしてる人から相談を受ける。あなたいつもピープルなんとかと言ってるけど、実際どう支援すればいいのか分からなくて。・・すいません、分かりません。知ったかぶらないのは進歩だけど、何も出てこないのも困る。分からないのにしゃべっていた自信はなんなんだろう。

仕事にして深く関わろうと思ったきっかけは、その後に影響がある。というか、それにすがりたくなる。学校でも職場でも「利用者中心」が基本だと教える。すると中心は無くなるかスカスカで、みんなさまよい始める。ボランティアで出会った子供がかわいくて。実習先にいたなんとかさんが。親戚に身体障がいがある人がいる。知的の人が学校にいた。自分もメンタルクリニックにかかっている。自分が当事者であっても、障がいのタイプや環境で変わってくる。めざすものも違う。

ぼくの場合は、脳性マヒのT氏と自閉症のU氏がきっかけになった。ふたりは「かすかな表情の変化に命の輝きを発見」しなくても、はっきりコミュニケーションとれて言いたいこともいっぱいある。「笑顔がまわりの人を結びつけ」なくても、迷惑すれすれの行動力で人を集める。そのかわり揃ってアウトローなので、大勢で規則正しく活動する感じからは遠い。働く喜び、も遠い。それがそのまま自分の姿勢になっている。良くも悪くも。職場的には悪い。

要求demandにかくれた、本当に必要としているニーズneedを知るべし。その人に合った日中活動を提供する。福祉職の最重要技能である。どちらも苦手。2人と会って人生楽しくなった。「先生」だと思っている。先生に対して、ニーズとか失礼すぎる。