日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

愛と正義(年度末1)

「アメニティ・ネットワーク・フォーラム4」に参加する。大津に23時に着く。亀山からの山越えはすごい雪で、時速40キロも出せなかった。番外編の交流会が3時まであり、同僚の部屋のソファで寝て、朝帰ってきた。

昨年、公式プログラム後に「話し足りない人は何号室へ集合」という呼びかけがあった。付いていけない、と思って寝た。すでに深夜2時だし。後で聞いたら、ホテルの一室に60人集まって、朝まで話していたらしい。この人たちおかしいよ。

その雰囲気だけでも知りたかったと思っていたら、今年のには「ホテルの部屋じゃなくてちゃんとやりましょう」というコーナーが出来ていた。「23:30〜28:00」と書いてある。ぼくは特に言うことはないけど、見にいってみよう。
議論の場だと思っていた。端っこで見るつもりだけど、何か求められたらどうする?1つくらい用意しないと。意味ありげな意味のないことを言って逃げられないか。じっさいは「交流会」だった。みんなひたすら名刺を配っていた。これはこれで苦手だ。はじめ立ち尽くしていたが、アルコールが入ってくると、とりあえず参加してる感じにはなった。

雪が積もった新名神では「チェーン規制になったら寒くて嫌だな。通行止めになったらどうやって行こう?」という問題と交互に、しゃべることを考えていた。どちらも無駄になった。どうせ言えるわけがない。

『愛と正義を否定する』の、青い芝の会の話をしようと思った。アメニティは「愛と正義」ですよね、と。障がい当事者のことを一番に考え、社会を変えようとがんばっている。その愛と正義には「エゴイズム」が隠れてる、と、言われてますよ。

全国青い芝の会 行動網領(抜粋)


一、われらは、愛と正義を否定する。
  われらは、愛と正義のもつエゴイズムを鋭く告発し、それを否定する事によって生じる人間凝視に伴う相互理解こそ真の福祉であると信じ、且つ、行動する。

そのほか「健全者文明を否定する」とか「問題解決を選ばない」とか、ぶっそうな話が続く。でも、今は時代がちがう。その思想は難しい。当事者にも、今は受け入れづらいくらいだから。差別も昔ほどじゃない。いっしょが一番、これからの町づくりに障がい者は欠かせない。テーマは「共に生きる」。

知り合いがアメニティ大嫌いなんである。昨年は全日程参加して、盛り上がって帰ってきたら、そう言い出すのでびっくりした。流行ものが嫌いなのか。「一歩先の実践」を語る場があっていいじゃないか。それが気に入らない。自分たちが未来の福祉を作っている、という気概はいいけど、「自分たち」には当事者は含まれない。ほとんどは事業者。障がい者に関わることでメシを食ってる。

やつらのヒロイズムには・・(以下略)。僕は言ってないですよ。でも、会場で入所施設職員特有の「ねたみ」だと思っていた嫌な感じの、一部はそれかもしれない。

青い芝の会が元気だったころは、「本人にとっては、生まれてこなかったほうが幸せなのだ」という差別があった。ノーマライゼーションが流行るまえは「本人にとっては、頑張って訓練して障がいを克服することが・・」という差別だった。「障がい者のために、より良い社会を作るんだ」変わるべきは社会のほうだ。それは良くなったんだろうけど、変わっていないものもある。

「弱者」を助けたり、声なき人々の気持ちを「代弁」するのは難しい。政治家や役人と同じ悩みじゃないかな。中立で透明な存在になろうとするほど、誰かのためなのか自分のためなのか区別がつかなくる。もともとその区別はなくて、他者との関わりの中で作っていくものだと、学校で習った気がする。一方通行になりやすい福祉の世界は、環境との関わりのなかで生きてきた生き物には住みにくいところかも知れない。

自分を殺しているように見せかけて、自分の自己実現に必死なヒーローたちにもあこがれる。実行力はすごいから。彼らは、難しさを自覚して、一方通行にならない関わりを作ればいい。ぼくは実行しなければならない。こっちのほうが道は険しい。