日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

Kくん

「Kくん、今何歳だっけ?」

視線が左上のときは、過去の記憶をたどっているそうだ。気は良いけど、ヒョロッとして青白いKくんは、重力に負けがち。学科の学生にも先生にも、こういうタイプが多い。目線が上に行くと、だんだんイスをずり落ちていく。

「・・26くらいっすかね、たしか」

あいまい。考えないようにしている。計算が合わない。留年が続くとこうなる。現実逃避だと言われれば、その通りだけど、ふざけてる訳ではない。誕生日なんか祝わない。計算している。事情が複雑なほど計算が長くなる。

先生に会いに、久しぶりに母校へ寄る。エレベーターに乗ると、だいぶ遠くから走って乗り込もうとする男がいる。ゼミの後輩のKくんだった。5年ぶりだ。「元気そうでよかった」と話した。先生は「Kくん、前よりやせただろ?」と言う。そうかな。

5年前は、僕の卒業の年ではない。Kくんが学校に来なくなった。一度「すき家」で彼らしき男を見かけた。人目を避けるように、丼に顔をうずめるようにしてボソボソと食べていた。声をかけられなかった。あの時よりずいぶん元気そうだ。


よく見ると「逆さ虹」になってる。レンズのせいかな。逆向きでも、影のなかでも虹はかかるんです・・涙

当時は、バイトがハードで生活が狂ってきたので、今はどうしてるか聞いた。「バイトはしていないけど、食費は1万円で済ますので大丈夫です」「米だけはあるんで生きていけます。実家が農家なんで、米はただで手に入るんです」懐かしい。まったく同じのを5年前に聞いた。すき家で会った不遇な彼は、人違いだったようだ。失礼なことをした。米はあるんだ。産地直送の。そう言われれば「丼屋」は違う気もする。おかずは、20時に半額になったバローの総菜を買う。
3人で夕食に行くことになる。先生の駐車場まで歩く。「指定駐車場が、校舎の裏になって、遠くて不便だ」と先生はぼやく。体育学部の講義棟のわきの細い抜け道を歩く。これも5年前に聞いた、先生の「大学に、長嶋茂雄とカール・ルイスが来た」話を聞く。長嶋さんのオーラと、車に忘れ物をとりにいく時のカール・ルイスの俊敏さが尋常ではなかったと、いつものように3倍くらい誇張して話す。話が終わると切り出した。

僕「あの講義棟の裏に空き地があるじゃないですか。ぼくも、Kくんのように知り合いが誰もいないころは、一人であそこでパン食べてましたよ。夏は蚊にさされながら。冬は雪の猿投山を見ながら」

先生「食堂で食べればいいじゃないか」

僕「先生には分かりませんよ。Kくんはどこで食事してるの?」

Kくん「駐車場。車の中です」

先生は「なに考えてるんだ」とか言っていたけど、僕らの間に言葉は要らなかった。深い共感があった。

具体的な年数をあげると反感を買いそうなので伏せますが、年数ではKくんが先輩でした。何度か復活とリバウンドを繰り返し、今年なんとか卒業できそう。ぼくは他のところも履歴書が狂ってるので違和感は少なかったけど、同級生から年々浮いていくつらさに彼はよく耐えたと思う。年齢も経歴も多様な人たちが来る、名の知れた学校なら話は別だけど、ここでは目立つ。高校の教室に、やさぐれた大学生が座っているくらい浮く。

僕は1年次の単位を落としていたので、5つ年下の1年生と毎週月曜日に卓球をした。空元気で若者に合わせていたけど、後半休みがちになり教官に頭を下げに行った。そこはKくんもうなっている。「俺は(その卓球)できません」

そんな楽しい夜で、よく寝たら今朝5時に目が覚めた。ついネットを開いたら、面白そうなまとめサイトを見つけて読み始めた。面白いし、映画向きの展開なので映画化されそう。運命の相手と永遠の友情みたいな。ただ、自分の中、高、大学生活を丸ごと否定されたようで悔しい。楽しい夜はふき飛んでしまった。

少し昔話をしたくなった 【中学生編】 : 暇人\(^o^)/速報 - ライブドアブログ

『運命の相手』は、確実な繁殖のための信念システムだ、本能的な戦略だ。強がりたいところだけど、なにげにいい話なので困る。