日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

栄にて

三好春樹さんとゴジカラ村の一平さんが、同じところでしゃべるというので出かける。ロックの大御所がチャリティコンサートで共演するような、期待と不安があった。

「愚か者は月を見ず、手を見る」愚か者は自分たちのことだと三好さんは言う。「月が出たよ」と空を指さすのを見て「手がどうしたんだ?」と聞く。

「痴呆」のNさんロシア事件。帽子をかぶり「ロシアへゆく」と言い残して施設を出ていくNさん。「ここはどこ、私はだれ、今はいつ?」狂ってしまった見当識を直すためのオリエンテーションをする。「あそこに見えるのは宮島。ここは間違いなく日本ですよね。ロシアは遠いから明日早くにしませんか?」または「ハァハァ・・心配なんで先に行って見てきましたが、残念ながらロシアは留守でしたよ」それでうまく行くことも多い。ロシアを理解しなくても。
三好さんが「認知症」という言葉を嫌うのは、「疾患」として、治すか見えなくする対象にされそうだから。認知症の研究は「人間学」に近づく。自身の変化に適応するための、その人なりの努力やテクニックであり、生き方そのものになる。抗ったり、受け入れたり、あきらめたりする。

時間感覚の「狂い」は、自分が「一番自分らしかった」時代に帰る。大学の先生だった人は惚けて教授時代に帰ってしまう。けっして「助」教授じゃない。Nさんは、ぼくらが日常に行き詰まったとき旅に出るように、旅には出られないから時間をさかのぼる。Nさんは大陸に住んだ若いころ近所のロシア女性にもてたそうだ。海の向こうの現代のロシアは「愚か者が見たもの」だった。

また人物誤認といって、他人を家族のだれかだと言い張る「症状」が出てくると、不思議と、全体的な生活は落ち着いてくる。施設などで人間関係がリセットするのは、老人には辛い。なじんだ人間関係を当てはめて、どうにか受け入れようとする。

老化が悪だという時代。「プライバシー」の語源は「奴隷や囚人が、権利を剥奪された状態」だそうだ。「Nさん」という表記は、もう顔や名前を出して主張する権利もない、という差別的表現に見える(Nさんは途中から実名になった)。その昔は、老人が無条件に力を持ちすぎたこともあったかもしれない。そのどちらでもなく、自然な変化だとして受け入れられればいい。

夫・荘六の最期を支えて (介護ライブラリー)

夫・荘六の最期を支えて (介護ライブラリー)

この介護記の出版記念セミナーだった。著者の杉原さんはすごいオーラを放つ方で、本を買ったけどサインをもらいに行けなかった。杉原さんのご主人の介護を、一平さんの福祉法人が支えた。「レビー小体型」という強い幻覚を伴う認知症の大変な介護を、在宅で最後までみた。

「すべてを家族が抱え込んだ、背負った」と言われる、前時代的で暗いイメージの在宅介護を、杉原さんの表現力で、暗く厳しい印象はそのままに、美しい物語を書き上げた。「介護する側とされる側」を切り離すことで、福祉サービスは発展してきた。杉原さんは「夫とのつながりを確かめたかった。介護はそのための手段だった。」と話された。三好さんは「固有名詞の介護」

介護とは何かを語るためには、介護する人とは何かが語られなければならない。そして介護される人とは何か、さらに2人の人生とは何かが語られなければならないのだ。

(介護夜汰話 ブリコラージュ2009/10号)

一平さん語録。数々の困難を、文字通りサバイバルしてきた杉原さんは、ときに厳しい利用者だった。現場の職員とぶつかったときには、

現場ががんばっているのも知っているし、杉原さんが言われるのも、もっともだ。激しいやりとりを、嵐が過ぎるのを縮こまって待っていた。嫁と姑のあいだで板挟みになるムコ養子の気分だった。

現場の中でも、考え方の違いでぶつかることがある。能力なのか、わざとなのか、ゆっくりとしか業務を進められない人。後が困るから効率よくやれと責める人。両方の気持ちも分かるから悩ましい。しっかり業務をこなしてくれるほうが運営側としてはありがたい。でも、

分かるけど、仕事をしていて、腹が立ってしようがないくらいだったら、しないほうがいいかも

最後はもっと直接的な言い回しだったような・・。この方は法人の理事長です。冗談っぽくつぶやいた言葉は、現場で働く自分たちを震え上がらせる威力がある。ここの現場の人は大変だな、と苦笑いしつつ、心の中で拍手を送る。いろんな人が一緒にどうやっていくかという仕事で、周りに腹が立って我慢できないなら、やめるか休暇取って南の島へ旅行にでも行けばいい。

「ムコ養子」の話は、場をなごませる冗談ではなく、一平さんの理念に近い話だと思う。高度成長期に「家付きカー付きババ抜き」が理想の結婚だと言われ、人間関係は希薄になっていった。「私のところの給料が安いか高いか分かりませんが」高いわけがない。「介護職を通して、わずらわしくて豊かな人間関係を学べる」嫁と姑の戦いには、ちゃんとオチがある。

家族はもめた方がいい。仲の悪い嫁と姑がいれば、子どもが間に入れる。子どもに「立つ瀬」ができる。

三好さん「地位の高かった人ほど老化を受け入れられず呆けることが多い」今日来られた皆さんは安心して下さい。ずっと低空飛行のままだから。2人とも「福祉職はいい仕事だ」と言いたい。ものすごく遠回しになってしまうのは何でだろうか。