「シカゴ・バウンド」
下宿の入り口です。なかなか良質な坂道だと思う。
風当たりが強い毎日だ。職場でのキーワードは「チームワーク」と「ホウ・レン・ソウ」で、外では、遠慮して誰も言わないけど「安請け負い」「あの話どうなったんだ」「あいつ来ないじゃないか」
アルバイトの子が辞めるというので男ばかりで焼き肉に行った。意外に高くて、少ない社会人ということで援助したのに残りを割ったらお得感がなく、援助し損だと顔に出ていた。しょうもない社会人だ。ひさしぶりにカラオケに行って憂歌団ばかり歌う。
1997年公開の映画「恋極道」の音楽を憂歌団がやっていた。その年は大阪の上新庄に住んでいて、予備校に通っていた。通わずに毎日腐っていた。
上六の映画館で「鬼火」というヤクザ映画と2本立てのオールナイト上映をやっていた。真夏だったと思う。暑い昼間は部屋にこもり、暗くなって自転車で出かけた。淀川の細い橋を渡った。
「恋極道」を途中から見はじめ、内容はともかく、エンディングの歌に聞き入った。ネットのない時代は記憶が頼りだから、まばたきを減らしてエンディングロールの挿入曲のところを探した。演歌みたいだけどベタベタしてないと思った。その「恋づれ唄」はCD発売されていない。
帰ってすぐ「聞いた歌っぽいタイトルが入った」CDを買った。当然外れだが良い時代だった。CDは大当たりだった。とにかく「シカゴバウンド」だった。よどんだ毎日をなぐさめてくれた。傷をなめるというか。
- アーティスト: 憂歌団
- 出版社/メーカー: インディペンデントレーベル
- 発売日: 1999/08/15
- メディア: CD
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「神聖モテモテ王国」を何十回と読み返し、毎日のように福岡の同志と長電話した。3時間とか普通に話してた。話し相手は、福岡のとケーキ屋の爺さんだけだった。大阪で時間のあるとき、何度かケーキ屋に寄ったがいつも閉まっている。
フリーター2年目に大学のフリーター仲間とカラオケに行って「シカゴバウンド」を歌った。現在。興味深い課題がつぎつぎに渡され、気力も体力もあり、職場でさぼっていても毎日充実していると思っていた。下手なので自分が好きで酔える歌しか歌えない。もう憂歌団は歌えないと思っていたら、焼き肉の後、すっかりなりきって歌っていた。
ほかの奴らはうまいことやってるけど
この俺だけが落ちぶれちゃった
街のかたすみで 小さくなって
ひとり暮らしてる
あ・あ
ひとり暮らしてる
上新庄のころの、後ろめたい感じは変わっていない。将来のために、誰かのために、という想像力が足りない。そのための努力ができない。計画がだめ。
ただ、目先の興味のためには力を出せる。生物の適応力として、社会の一員としてやるべきことを自分の興味に取り込み、また興味の範囲を広げる努力をしているみたいだ。みんなのため、と思って始めたことも、自分の趣味みたいになってきて、だんだん悪いことをしている気がしてくる。人を巻き込んだら悪いし、黙っとくか。
「シカゴバウンド」のオリジナルは別で(尾関さんとか)もっと良いんだという情報もある。ちょっと聞きたい。でも木村さんの声がどうとか言う前に、ぼくにとって憂歌団は特別なんである。上六の映画館で、メモできなかったのでもう一度見直すことにした。もう一度エンディングを見るには4時間かかる。暇だったということ。
どうもバンドのメンバーが出演していたらしい。そういえば面白い顔の人が出てたな。朝6時に終わって、帰りのエレベーターに乗ったら、僕以外の4人の男たちが普通じゃなかった。顔は見なかったがメンバー4人だと思う。映画の内輪の話をしていた。みな異様な存在感を放っていて、田舎から来た19歳にとっては妖怪に囲まれたようなもので、怖かった。
最近「恋・極道」を借りて観てみた。憂歌団のために。でもけっこう良い映画だ。でも2本立てオールナイトでやるような映画なので「観てみたら」とは言えない。