日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

伊予旅2・バスとふね

バスに乗っている。3つめの生口島では、島内バスが「フリー走行」といって希望地で降りることができる。

「橋の歩行者入り口まで行けますか?」と聞くと「やってみましょう」と心強い答え。「レモン谷」という看板の下で下ろされる。歩きに来たのにさっそくバスに乗っている情けなさについても、レモン谷のかわいい名前の由来についても考える暇もなく先を急いでいる。昼から始まるという儀式に間に合うだろうか。
めざす大三島は何番目の島か知らない。6時に歩き始めて1つの島を渡るのに10数キロ、9時になっていた。

バス停を探してきょろきょろしたり、こちらから強く求めることはしたくないと思いつつ「バス来いバス来い」と念じていると後ろからバスが来たので走って追いかける。フェリー乗り場のバス停。通ってきた島々には「橋より安い」と看板のあるフェリー乗り場を見かけた。

普通車200円とかで隣の島に渡れる。10年前、何千億円かけて通された高速道路にも負けず生き延びた航路は、今回の料金値下げでいよいよ危ないらしい。

先の食堂のTVで見たニュースでは、近年愛媛県発着の5つのフェリー航路が廃止されたそうだ。女将さんは「さびしいね」と話す。島の人にとってはバカ高い橋より愛着がある。「昔よく使った高知大阪のフェリーは、廃止後に売られて今でもギリシャで現役みたいですよ」励ましたつもりが、これはよく分からなかったようだ。

船が他の交通機関と違うのは、その船「個人」が意識されることだと思う。廃線になった名鉄足助線を、引退する鉄道のなんとかという車体を懐かしむのではなく、「ニュー土佐」より「ニューかつら」が良かったとか思う。船は現役年数が長いし、それぞれに名前がつけられ人みたいに扱われる。

割引後のGWのしまなみ海道は大渋滞だけど島には降りてこなかったとバスの運転手と話していると、乗ってきたおばあさんが割り込んでくる。広島の美術館に行くついでに、土産のきゅうりを呉に住む娘に届けに行ったが、バス停から遠くて道にまよって難儀したそうだ。それを「あれ面白いねえ、ぐるっと道を遠回りしてねえ。いやあ、面白い面白い」と何度も言うので、面白いは「大変だった、苦労した」の方言かと思ったけど、それはおばあさんの性格みたい。

航路は無くなっても島の主要産業は造船である。食堂の横では100メートル近いタンカーを作っているところ。

女将さんの話だと、この大きさの船を35日で一気に組み立てるそうだ。因島の通勤時間には、作業服で自転車に乗るアジア系の外国人がたくさんいた。給料は安く生活が大変なのか、川のコイを獲って食べるので困るとバスの運転手は話す。

海沿いを走っていたバスは山に入り、みかん、キューイ、ビワの畑の間の狭い道を上がっていく。みかんは以前ほど作っていない。作りすぎると値段が下がり、一時期は20キロで2,30円だったという。

すれ違えない狭い道を1キロほど上がると広場があり、1人下ろしたらUターンして戻る。大原という山奥の集落は交通の便が悪く、前の町長が選挙で公約していたバスが通された。補助がついて何とか運営していたが、市町村合併今治市になり補助は打ち切られた。バスを待ち望んでいた住人が、悪路を整備したり、自分の土地を使って道を拡張したりしていた。地元のバス会社は行政の都合といってすぐに廃止にはできず赤字のままバスを走らせている。

多々羅大橋を修学旅行中の高校生と渡る。大きな支柱の下で手をたたくと反響する「多々羅の昇り龍」という看板がある。やってみたかったが気まずいので学生を追い抜いて次の支柱で試す。まあまあ。それより風が橋のワイヤーや柱を吹き抜けるときの重低音のほうがシブい。

橋の終点の緑看板に何か書いてあるが遠い。早足で近づく。大三島だ。やっと安心。

80キロのうち15キロはバスだった。これはルール違反じゃない。車より自転車より歩くほうが旅は楽しいと思う。よく見えるし話もできる。歩くのは人の自然な動きだから、感じ方も少しちがう気がする。近道だからとガケをよじ上ったりできるが、ペースを変えることは意外と出来なかったり。

道具を使うより歩く方がぜいたくなのだと言いたいところだけど、神社の帰り、雨のなか同じ道を戻るのは苦痛だった。「バスってサイコ−や」と思った。