日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

伊予旅3・大山祇(ずみ)神社

大三島に入るとおじさんが話しかけてきた。

途中略しながらまとめてみる。わしは前フットワークに勤めていてな、その前はあれをしてこれをして、今は労災もらって休んでる。仕事中にどこそこを車で走っていて事故にあった。「ぼくも指を怪我して初めて労災使いましたよ」今も労災もらっとるんか?「治療代だけです」ニヤリ。わしは労災を何ヶ月もらって、厚生年金のなんとかももらい、なんとか年金のなんとかももらい、他になんとかももらってるんだわ。「いま何してるんですか?」天気がいいから散歩しとるんよ。

事故のとき頭も少しぶつけた感じだったが、こういう人が笑って暮らしている町はいい町だと思った。このご時勢に少しもらいすぎだとも思った。歩いて神社に行くと話すと「遠いから気をつけろ」と心配してくれる。島の人は大山祇神社の祭りに興味なさそうだ。
神社周辺に人は少ない。境内に屋台が2軒あるだけ。外したかとあせる。奥まったところに人だかりが見えた。神事用の田んぼを囲んで待ちかねた様子の数十人。間に合った。

もう店は無いと思って、7キロ手前で500の缶ビールをザックに突っ込んできた。時間はたっぷりある。飲んで半日くたばっていればいい。こういう祭りにはアルコールが付きものかと思ったらそうでもない。人目のないところを探す。白い砂利を200メートル歩くと本殿がある。その間に木が見えた。あの木を眺めながら、こっそり飲もう。

一度休むと内股の筋肉に激痛が走る。さっき斎田にいた早乙女の女の子たちが移動して、お祓いみたいなことをしている。その横をヨタヨタ通り抜けようとしたら、一堂も同じ方向へ移動し始める。神官、早乙女、正装した早乙女の父兄が続く。

すごいのは、それを追って、先頭に回りこむカメラを持った男女の俊敏さ。謎のカメラマンたち。カメラ小僧的な人かと思うと女性も多い。みな表情はけわしい。ほとんどの観光客は相撲を見に来て、斎田から動かないから、中でも熱心な人たちではある。誰もいない広い白砂利の境内を神事の行列がゆき、周りをカメラマンたちが飛びまわる。自分の世界に入ったアマチュアならではの動きは、祭りに寄ってきた「悪さしない妖怪」に見えて楽しくなる。

手洗い場わきに荷物を置いて座り込むと、行列も止まって、となりの小さな社で儀式を始めた。早く飲みたいが待つ。終わって本殿に行くのを見とどけて、ぼくの旅の定番の魚肉ソーセージとビール缶を出そうとすると、ひとりの巫女さんが儀式の片付けに来る。慣れない様子で、社の門を、あっちを押しこっちを押し、5分くらいかけて閉めている。

好きな人にはたまらない映像が撮れただろう。好きそうな、あのおじさんカメラマンは惜しいことしたな。

タイトルは「ボク、なんで隠れてるの?」早乙女役のあの子をからかいに来たのに、正装して大人っぽく見えて、近づけない。この気持ちはいったい・・?いやダメだ、精霊が一体写りこんでる。

さんざんお預けを食ってようやくビールにありついたが、欲望のピークを過ぎていていまいちだった。男はめんどくさい生き物である。それにしてもこの木はすごかった。2千何百年という楠の老木。古い木、大きい木は全国にあるだろうけど、これは「木」の範疇から外れかかっている。

ほとんどの部分が死んで崩れているのに、残った表皮が土台にしがみついて養分を送り続けている。土台=木部と皮が別の生き物のように、皮が寄生しているように見える。人間は高齢になると子供に、そして「生き物」に帰ると三好さんが書いていた。木は「木らしさ」を捨て、生命の始まりの混沌としたところに還りつつある。

奥には3000年物があったが、すでに亡くなられていた。