泥
小さいころは公営の団地に住んでいた。裏の空き地は小学校の校庭くらい広かった。
小学校低学年まではススキとセイタカアワダチソウの森だった。セイタカアワダチソウは、2メートルくらいの高さで隙間なく生えていた。子供の背では何も見えない。団地のフェンスの先は草の「壁」になって近寄りがたい。10メートルくらい「探検」しては満足していた。
ある日、草が全部刈られて奥まで見えるようになった。大人のやることはスケールが大きいと思った。
記憶ちがい。全部見えたのはもっと後のこと。ダンプが奥まで入りユンボで土を積み上げていった。子供の夢も秘密も、一番男らしい方法で埋められてしまった。草の森は、わりとすぐに土の山になった。
四国自動車道の工事の残土置き場だったのかな。スケールは大きい。2階の高さまで積まれた。雨が降ると泥沼で、土のにおいがした。深夜目が覚めて外を見ると、頭から白い服を着た人たちが、何やら薬剤をまいているようだった。月に照らされた光景は、子供ながらに見てはいけないと思った。
小学校高学年のころだった。土の山はいい遊び場だった。先にアルミのパイプを継ぎ足して飛距離を伸ばした(つもりの)ガス銃のテストをした。後ろ向きで遠くにいる友達に、当たらないとおもって撃ったら首に当たってすごい怒らせてしまった。
上に外れると思ったBB弾が、弧を描いて首筋の真ん中に当たるきれいな放物線が見えた。速いBB弾にも重力は働くのだ。この時期、人生で一番成績が良かった。
夏休みの雨が続いたあと。泥の山は太ももまで沈んだ。夕方になると、幼なじみの2人は怯えていた。「こんなに汚したらお母さんに怒られる」うちの母はこんなことでは怒らない。帰ると、家には入れてくれないが、外のホースで泥を落とせばオーケー。
「なんで怒るが?ぼくんちはぜったい怒らんき!」「いいなあ、たかやんちは。うらやましい。」
このエピソードはずっと覚えている。かなり良い気分だった。母を誇りに思った。
偉大なる母のもとで成長し20年たった。とぼとぼとB棟に帰った2人のうち、ひとりは医者になり、ひとりは弁護士として活躍している。揚々とA棟に引き上げた僕は、しばらくフリーター生活から抜けられなかった。
母の日。