日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

アメニティ・ネットワーク・フォーラム3報告3

「WEコラボ」というのは福祉Welfareと教育Educationの連携のことです。今回のフォーラムの柱のひとつです。3つに分かれた2日目の分科会のなかで一番長い、8時から夜7時まで続いた「発達障害の豊かな世界」セッションは聞きごたえのあるものでした。


内山登起夫(大妻女子大、よこはま発達クリニック)「本当のTEACCH, Part Ⅱ」

この仕事をしていると、いつも気になるけど、本を一冊買ってみたりするけど、敷居の高い「TEACCH」です。

「『リモコンロボット』を作っている。指導者が、絵カードで子供をコントロールしている。」など、TEACCHの長い歴史のなかで投げかけられた数々の批判に、ていねいに答えていました。

「嫌なことでも、視覚的なスケジュールの圧迫でやってしまう。障害特性を利用した虐待だ、との批判があるが、そういうことも可能なほど構造化は強力だ」
初心者はコントロール法にしてしまいがち。構造化して、絵カードのスケジュールを作って「TEACCHやっています」という所も、不適切な場合がある。しかし、正しいTEACHかどうか、という線引きもあいまいで批判を招いている。

「硬直、マニュアル的 または 柔軟すぎ、なんでもあり」という正反対の批判がある。「理論がない または 理論偏重」というのもある。とらえ所がない。

資料「TEACCHの理念」の一番初めに「理論より、実際の子供の観察から理解する」とある。多様な個性に特定の理論を当てはめるのは無理だ。

「ついたてとコンテナBOX、スケジュール表」だけを見れば「マクドナルドのマニュアルのようだ」と言うのも分かる。日本人には合わないという人もいる。「コンテンツとフォーマット」つまり「教える内容と、どう教えるか」の違いだ。本人が興味を持てる、また得意なものをコンテンツに選ぶことが大事だ。フォーマットは万国共通だが、コンテンツは自由に変えてよい。自閉症児には電車好きが多いが、アメリカの子供はこだわらない。電車を見かけないから。

「その子の障害特性をベースにプログラムを作る」最近の特別支援学校では構造化をしっかりやっている。でも「なぜこの子にそれが必要なのか」と聞くと答えられないことも多い。計画するのが苦手なのか、段取りなのか、感情をコントロールできないのか。

「権威的」という批判には「それはありえない」と言う。「(創始者の)ショプラーさんは天使のような人。佐々木さんも、陰で『長嶋1号』と呼ばれている。権威とは何かよく分かってない」

ひどいプログラムを見かけて「誰が教えたのか」聞くと自分だった。偉い先生が言ったことも、1年経てば子供の状態も変わって使いものにならなくなる。繰り返し「子供の観察」が大事であり、子供に合わせて柔軟に変化する。同時に、子供のそばにいる親の役割が重要になる。

プログラムの作り方と同じくらい「評価」が重要です。こまめにモニタリングして改善していくのはケアマネジメントと同じですが、そうは言っても自分は出来てないな、と反省ですね。内山先生が作った「構造化」のDVDはベストセラーなのに、最新作の4本組「自閉症のこどもの評価」はなかなか売れない。皆そうなのかな、と開き直ってはいけないのですが、方法が分かりにくいこともあります。職場でDVD買って欲しいなあ。

「生涯にわたる生き易さと生活の質の向上」がTEACCHの目標ですが、誤解を招きやすく、批判はまだ続きます。

Q「個別化は孤立化。集団の中で生きていけない」「パーティションに閉じ込めている」
A「ひとりで出来る」自立を重視する。「年齢に応じた、集団で、声かけで」より「理解しやすい環境で、興味あることを、ひとりで」できることを優先する。荒木:社会の中に、理解しやすい環境を取り入れていけば、外に出ても自立した生活ができるということかな。

Q「同じ作業を続ける機械」
A「評価して、内容をステップアップするのが基本。構造化を取り入れても、ボルトとナットの付け外しばかりという教室を知っているが、TEACCHとは言えない」

Q「自立を目指すといいながら、そもそも構造化には人手がかかるじゃないか」
A「子供がひとりで学習できるようになったら、先生が要らなくなるじゃない」という、逆の批判というか皮肉もささやかれます。アメリカなどのTEACCHの教室では特別支援学校より多く職員がいる。日本では同じ課題を皆でいっせいにやらせる。合わない子も参加させるために人手が要る面もある。構造化によってひとり1人が落ち着いた中で、スタッフが個々を余裕を持って見られる。

Q「そもそも効果はあるのか」
A「厳しい指摘です。調査には時間がかかり、大規模な追跡調査はまだない。」

「続・エビデンスベースの支援を考える」

エビデンス evidenceは「証拠」という意味です。「エビデンスベースの支援」とは、「主観、経験」ではなく「客観、事実」に基づいた対応をすること。

「療育」をちゃんと勉強してない自分に、初めはとっつきにくく感じました。「先生」ではない「支援員」には使いにくい、とも。しかし、いくつかのテクニックの紹介とワークショップを終えて、学校以外の現場でこそ「使える」のだと思えます。

「主観、経験」は「寄りそう関係」のためには必要で、悪いばかりではないと思います。それで行き詰まったときに、自分から突き放すことで、問題をチームで考えることができます。たとえば、記録の「〜しないで。〜できない」という否定形を「AせずにBしている」と変えることで客観的になり、他のスタッフも具体的なイメージを持てます。

医療の現場では「画一的すぎる」エビデンスベースドな手法に対して、「ナラティブ・ベースド」という各人の物語(歴史)に共感しつつ治療方針を話し合う姿勢も広まっているそうです。2つは「補い合う」関係で、どちらが良いというものではありません。僕ら福祉の現場は、逆に「客観、事実」を補うことが必要な場面が多そうです。

「ケアする人のケア」の話を聞いた後では、感情的な否定形をなくすことで、支援者を(もちろん相手も)追い詰めないのだとも思いました。

フォーラム全体についての個人的なまとめは「一歩はなれて見ること」です。「ケアする人のケア」自分についても一歩はなれて見ること、「エビデンスベースの支援」支援する相手との関係を客観的に見る、そして「若すぎるからまったく新しい・・」障がい者福祉という自分の仕事についても斜めに見ること。

「機能分析」と「ナラティブ・スピーチ」について一例づつ紹介します。