アメニティ・ネットワーク・フォーラム3報告2
企画者の北岡さんは、著書で「人を呼べるプログラムは『時代の1歩先』を感じられるもの」だと書いています。制度をどう変えるか、という「現状の改善」の話は『半歩横』だといいます。(『僕らは語りあった−障害福祉の未来を』ぶどう社)
「支援法見直しについて」など福祉ど真ん中の話題と同じくらいの量の発表が、別分野からありました。それが「1歩先の話」なのかも知れません。外の世界を知らない自分には苦しい時間もありました。
川島 志保さん(弁護士)「成年後見人制度と福祉サービスの品格」
「契約に基づくサービス」とは、「サービスを受ける人が契約し、対価を払う」これが法律の世界の常識です。現状では本人以外、とくに親が中心になってサービスを選び契約もする。そして、出来るかぎり無料がいい、と訴える。
障がい者のみが特別ではない。ホームレスや母子家庭、難病を持つ人、困難をかかえる人はたくさんいる。業界の人が納得しても、税金を払う国民全体が納得しない。
「サービスを受ける本人が契約し、対価を払う」それ以外の契約は無効です。無償でものを「贈与」することはあっても、その効力はとても弱い。わずかでも払うことで正当な契約として権利が生まれ、苦情をぶつけることが出来る。
「本人に判断能力がない」というなら契約するのは成年後見人でなければならない。「親しか代理できる人がいない」というなら親が後見人になればいい。その手続きのなかで「他人の財産」を管理している自覚が生まれる。施設は本人以外との契約を受けてはいけない。後見人を立てるよう説明すべき。そして、無料が良い、と言う前に「使えるお金」を増やすことを考えるべきだ。
「さをり織り協働組合」のブースにて
名刺入れを買いました。以下は、そこのお兄さんに聞いて、名刺交換のときに使ったうんちく話です。
高齢施設の利用者、障がい者、また福祉以外の作者による製品を集めて売っている。この日のような福祉イベントでは、高齢者が作った「きれいで整った」ものしか売れない。しかも「売れる値段」を付けないと売れない。一般向けに出店すると「自由で雑な」作品から売れていく。値段が高くても。そばにいる支援者には価値が分からないということ。
何とかという有名なアパレルメーカーからは「生地」として注文があったそうです。それをプロのデザイナーが仕立てる。一着7万円の、強烈な色彩の、セーターが掛かっていました。(さすがに、なかなか売れないそうですが)機械はもちろん、手織りの職人も、同じ風合いを出すことが出来ません。デザイナーがどんなに工夫しても、生地は大量生産で作られ、どれも同じです。
大量生産の現在では、何でも手に入る反面、欲しい人がいても手に入らない価値が多く眠っている気がします。
四王天正邦さん(伊勢丹ソレイユ)「ここでは障害がある人の就労を考えます」
伊勢丹デパートの特例子会社「伊勢丹ソレイユ」は、始まりこそ自社の障がい者雇用率の低下への危機感から作られたものの、現在は80種の業務を扱い「全社的に生産効率が上がり、親会社の社員の残業も減らせた」。
社員26名のうち24名が知的障がい、21名が重度者です。デパートのカウンター裏でやられているようなリボン作り、ギフトボックス折りから伝票整理などの単純作業を本社から請け負い、月給10万円にボーナスも出ます。社員なので有休あり、厚生年金にも労働組合にも加入している。
「タイトルに『就労の可能性』とありますが、働けるか、働けないか、ではない。指導方法さえちゃんとすれば会社に立派に貢献できる」
福祉関係者への苦言にも聞こえます。ただ、よくある福祉事業か営利企業か、という話ではないと感じました。伊勢丹ソレイユでも、就業後の生活面は支援センターに任せるし、なにより障がい者雇用率と特例子会社という行政の働きがありました。社長の四王天さんは婦人服のバイヤー、指導員の女性は紳士服の「カリスマ販売員」だった。「最初は心配もあったが、すぐに同僚として自然な関係ができた」そういう出会いの場を作った制度の力はあなどれないとも思いました。
「一般的に障がい者雇用は企業の負担、または社会貢献というイメージがあると思う。でも、能力を生かせば会社への貢献になる。障がい者を雇うことはけっして慈善事業ではない。法定雇用率の達成だけではなく、企業や顧客利益に結びつけることを目標にすべきだ」(資料より)
成年後見人制度に通じるものを感じました。現行の制度の問題点は多いと聞きますが、制度の負荷によって良い実践が生みだされ、制度も直されて良くなっていくよう信じたいです。
「島根の特別支援学校の先生は、生徒の就職先を探すために地道に歩いていると聞いた。東京ではそこまでしていないし、企業側も門前払いだろう。人のぬくもりがあり、人と人の密度が濃い地方だからこそ就労支援はできるのではないか。地方だから、障がい者だから無理、という発想はだめ。必ず、それぞれの武器があるはずだ」(資料より)
鈴木厚志さん(京丸園株式会社)「ここでは障害がある人の就労を考えます」
農業と福祉がどう出会ったかという話です。
浜松のある農園に、知的障がいのある子供をつれた母親が来て「息子に仕事をさせてほしい」と頼みます。慣れない障がい者にとまどい「申し訳ないけど」と断る。諦めきれずに何度も訪ねる母親が不思議なことを言い出します。「息子の代わりに私が働きますから」「お金をもらわなくてもいいから」福祉職なら何となく想像がつく言葉も「仕事はお金をもらうためにするもの」と信じていた鈴木さんには謎めいていて「少し怖くなって」断ります。
何度も足を運ぶ母親に申しわけなく、ボランティアとして仕事場に来てもらうことになります。それですら、現場のパート社員が気にして辞めてしまわないか、彼がいじめられるのではないか気がかりでした。「ものの30分や1時間で気が変わった」彼はその場で採用されます。
彼に手を貸すために社員たちが集まり和やかな雰囲気ができた。「チームで手作業」する農業の現場では雰囲気が大事で生産性に大きな影響がある。それに貢献しているのだから立派な「ビジネスパートナー」だ。
一年に1人づつ雇っている。障害がハンディであるなら、会社の目的である利益は年々下がっていくはず。しかし雇い始めてから15年間増収増益を続けている。それが「ハンディじゃない」ことの証明だ。
全社員のうち3割16名の障がいを持つ社員がおり、最高齢93歳から80代、そして10代まで全ての年代がいる。こんな仕事は他にない。田んぼの草取りだけでも人から感謝される。誰もが役割を持てる。
壇上から質問「農業と福祉は良い組み合わせだと思いますか」いっぱい手を挙げる。「じゃあ、農業の分野で何か取り組んでいる人はいますか」ちらほら。「これが現実です。お互い、どう近づいていいか分からない」ここでも、母親が諦めずに通った長い時間がかかっています。
「どうか地域の農家と手を組んで下さい。農業知識も農具も畑も揃っています。非常にローコストです」
「三角関係を作りましょう。今は自立支援センターから派遣してもらっています。あいだに福祉関係者をはさむとうまくいく。一対一だとコミュニケーションで行き詰まるんです」
本西 志保さん(株式会社 ミンク)「若すぎるからまったく新しい実践報告」
介護と障がい児支援の株式会社はプロとしてのサービスをしっかりやるため。平行して、地域そのものに支援する力を持たせる「町づくり」のためのNPO法人がバックアップする。
「自分を福祉人だと思っていない」ということで、従来の頭の硬い「福祉人」にとても厳しい。
企業が相手にしてくれないと言うけれど、それは逆で、企業の人たちは「企業の目的は地域の活性化」だと信じ、そのためには「福祉って外せないね」と福祉分野に興味を持ってくれている。企業会などの輪に誘っても動かないのは福祉関係者ばかり。
イベントに障がい児を呼ぶときは必ず健常の子供も呼ぶ。その親も含めて、一緒に過ごしてもらうことで、地域がその子を理解するし、障がい児にとっても「子供の成長には同世代のふれ合いが大事。生きていれば、まわりは心地よい大人たちばかりではない」
信じる「あたりまえのこと」を目指して形にはとらわれない。発表は着物姿でした。地元企業のおじ様たちには、時に色気まで使って巻き込んでしまうらしい。
末安 民生さん(慶應義塾大学 准教授)「人をケアするということ」
「ケア者に抱くイメージ」と「ケア者の現実」(レジュメより)
- いつでも笑顔 VS ひきつる笑顔
- 障害を理解し VS 障害は受け入れがたく
- 人に尽くす存在 VS 愛想を尽かし
- 攻撃や否定的言動に耐え VS 攻撃し、否定する言動に
- 怖くてもたじろがず VS 怖くて身動きできず
- 困難に果敢に立ち向かっていく VS 立ち向かえない
「離職率25%の事実の解決策はあるか」という別セッションでの福祉労働についての考察は眠かった。それに比べて、こちらの話は面白いし、救われる感じがします。ぼくが好きな「ケアする人のケア」という分野です。
「ケア者の不安と防衛」というパワーポイントには
- ルーチン業務化
- 「○○障害の人」or「○号室の人」という脱人格化
- 強固な階層構造(利用者、職員間の上下関係?)
- 個人の判断より指示や命令が優先
- 専門性へのこだわり
という「ダメ支援者、ダメ施設」のレシピが並んでいます。でも、それは「不安感に対する防衛反応」だというのです。1人の人間として接したいけど、その関係に身が持たないので対象化、モノとして見てしまう。
サブタイトルは「共感と生き残り」です。憧れた福祉職になったものの「ダメなケア者」だと思い込み「向いてない」と言って辞めていく。それが防衛反応だと知るだけで楽になるかも知れない。不安の原因まで分かれば生き残れる。
ここまで挙げてきた実践は、障がい者を中心に福祉も含めた各分野の「不安と防衛」をいかにほぐすかという話にまとめることも出来そうです。人と人はもちろん、集団と集団の「間を取りもつ」のが福祉の仕事だとすると、自分を客観的に見て「ケアする自分のケア」をするのも自然かもしれません。(まとまらず・・また後で)