日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

東ティモール

東ティモール」を10日間旅行した話を聞いた。長く支援活動をしている娘さんを訪ねて行った。

ある年代以上の人は、同じアジアといっても赤道をこえたオーストラリアの隣の国にいて、懐かしさを感じる。時間がゆっくり流れて、昼の仕事が終わるとみなが集まる、集まる場所がある。おじさんたちが自慢のニワトリを持ちよって闘鶏するそうだ。わずかなお金をかけて、全力で楽しむ。なにより、子供が多い。子供が元気。日本はいかんなあ、という話に流れそうなので止めた。

今日は1日家にいた。計画はいくつかあったが、もったいないことをした。本棚を作って、冷蔵庫の上を片付けて、三線を弾いて昼寝したら終わってしまった。気分的に疲れてしまい、明日の仕事は気が重いが、もし明日も休みなら腐ってしまう。這い上がれないくらい。じつは連休が怖い。
職場では利用者に仕事を提供したり補助をする。そうそう、昨日は電車で読もうと職場から借りっぱなしの本を持っていった。先進的な事業所の社会自立に向けた取りくみの報告集で「働くことは生きること」と書いてある。「仕事」がなんなのか支援する自分には分からない。苦しい休日を埋めるアイテムじゃないのか。

最近先生に会うこともあり言葉についての本を読みはじめた。赤ちゃんは本能みたいな言語の原型を持っていて、ある時期に親とかがしゃべる言葉に合わせてチューニングし日本語とかをしゃべりだす。歩いたり、ものを見るのも、最後は環境に合わせて仕上げる。

言語を生みだす本能〈上〉 (NHKブックス)

言語を生みだす本能〈上〉 (NHKブックス)

働くことは、他人と協力して何かするのは、本能かな。ぼくの実感は、就職するという「社会に組み込まれる」ことで自由になった。10代から嫌われそうなコメントはしたくないし、そうじゃない。インターフェースだけ今の仕事にチューニングして、言葉や二足歩行のような能力が「使用可能」になった。逆に日本語を話すことや歩くことは、他を選択できなかったので不自由でもある。

TVをつけたらレスキュー隊のドラマをやっていて、先輩隊員が「あなたが1秒遅れることが生死に関わる。この仕事やってく覚悟があるの?!」と息巻いていた。何かを犠牲にして頑張っている姿勢が大いに違和感だ。こういうの見て消極的フリーターや消極的ニートたちは凹むんだろう。あいつが一番自由でうれしがってるくせにね。

東ティモールいいですね、と言うと「旅はいいよ。行くなら3年は。同じ場所でね」そのためには仕事と結びつける必要がある。そういう仕事もある。どっか行きたいな、と思いながら阿蘇の写真を見返す。

今朝は宅配のノックで起こされた。北海道へ行っていた母より大量のチョコレートが届く。うれしいけど結末が目に浮かんで胃がむかついてくる。深夜1時に4箱のうち2箱食べて終えた。早く仕事へ行きたい。でも明日はたぶんひどい目にあうはず。それでも家でチョコ食ってるよりましだと思う。

組写真のタイトルは「道」かな。どこまでも続くのは夢で、すぐ終わってそうな道。今日は本棚をつくったのが救いだ。なにか作ると1日充実していた気になる。工作する時間は減ったけど、かわりにブログを書いている。ブログをいっぱい書いてる日は腐りかけてることが多い。