日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

くらしささえあい いっぽ

浜松のNPO「いっぽ」さんを訪ねる。

ブログが存在しません - はまぞう

勉強しにいくとか交流しにいく、ではなく、この日は豊田に一分と居たくなかった。職場の利用者になぐさめてもらおうと電話したら「じゃあ浜松に行こうよ」という。それがいい、どこでもいいから遠くへつれてって。どちらが支援者か分からない。

先輩の支援者に「お互い頼りあう友達のようになってる。支援者になりきれてないのは良くないと知りつつ」と話したら「友達のような関係もいいんじゃない」と言ってくれた。なんでもないこの問答がありがたい。自分のまわりでは有りそうで無いから、元の意味で「有り難い」。
友達というのはものすごく幅が広くて便利だ。厳しくもやさしくも親密にもほっからかしにもできる。仕事だからといって特別な関係を作ったり切り替えたりするのは自分には難しい。友達には責任がない。それで楽してると言われればその通り。

「いっぽ」は、めずらしい(多分)機能しているコミュニティスペースで、いろんな人が気楽に入ってきて話したりくつろいだり何か作っている。この日は精神障がい当事者が5人来ていた。でも、この際ここの福祉的な意義とかはどうでもいい。ちょっと凹み気味でやってきた僕にとっては同年代の人間に会えたことが良かった。

同じかひとつ違う同年代で同性は身のまわりに居ない。大学入ったところでもう居なかった。職場に2人いるけど、ぼくの右小指が曲がっているのは1人のせいで、もう1人は入院中だ。

テーブルがあるのに、みなで地べたに座り1人がギターを持ち、いまは時代遅れの音楽の話をする。高校くらいの友人宅で溜まっていた懐かしい感覚だった。

そこに居たくないと出かけていく。現実逃避で。先輩は「いろんな所を見て、良いと思ったものを少しづつ取り入れていけばいい」と話す。なんでもないこの言葉もありがたい。元の意味で。