日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

首おじさん

別名『のどぼとけが大きい男』

伊勢まいりで身を清めたはずが、鳥羽でよからぬものを拾ってしまった。

マコンデ美術館のおみやげコーナーは全体的に不調で(いいものは高すぎるし安いのは安っぽい)、絵はがきを3枚持ってレジに行くところだった。陳列棚のはしっこの下にこれが見えて「これはないだろう」と思った。たぶん口にも出した。美術館の展示にこんなのはなかった。おまえ本当にマコンデなのか?別の血が、雑種のにおいがする。別の血か、または「なぞなぞ」が。

考え込んだような彫りの深い男の首から下が足に見える。上の棚にもう一体あった。ということは定番のデザインなんだ。館長に「なにか意味があるんですか?」と聞いたら、笑うばかりなので「2体あるから、やはり何か・・」と食い下がる。館長だとは知らず、レジのおじさんだと思っていたので厚かましい。「うーん、作った人には何かあるんだろうけど、分からないねえ」展示室のアート作品には詳しい解説がついていたけど、館長の本音として大量生産のおみやげには興味ないんだ。

絵はがきだけ買おうと思っていたのに、いつの間にか「2つのうちどっちを買おう」に変わっていた。あぶないあぶない。4,800円と5,200円だよ。高いほうは木が大きいのだけど、おじさんの顔も木に合わせてエラが張っている。小さいのは顔つきがよく仕上げも丁寧だな。あぶないあぶない。こんな気持ちわるいものを買う神経が分からない。後悔する。人の家に行って、玄関にへんなお土産を飾っている恥ずかしさといったら。

ふだんはこうグズグズ言ってる間に同行者が怒ってタイムアップとなるけど、三重の友人は黒檀のキーホルダーか何かに迷っている。この美術館は案外だれでも引き付けるものがあるようだ。アフリカはヒトの起源だからかなあ。

「展示室見てくる」なんだよもういいだろ、と言われつつ。善きものを見れば、片足で跳んでくるおじさんから逃げられるかもしれない。一周して戻ったら、かえって諦めがついて、小さいほうをレジに持っていった。うれしくも楽しくもない。むしろ不快な。

岡本太郎さんが「今日の芸術」で書いていたのはこのおじさんのことだな。「きれい」なものはつまらない。全てをさらけだして相手に突きつける表現こそ「美しい」。醜悪美ということばがあるように、気分が悪くなるような「いやったらしい」美しさもある。目をそむけたくなるけど目を離せない。

今日の芸術―時代を創造するものは誰か (光文社知恵の森文庫)

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もう一組だけお客さんがいて、いっしょにおみやげコーナーを見ていた。最初ペーパーナイフについて館長に聞いていたその年寄り夫婦はしだいに像のほうに引き寄せられていった。ぼくが首おじさんを見ていると、気さくなおじさんが「ああこれは首が長いね。これはのどぼとけが大きい人なんだな」と館長に代わって説明してくれる。「なるほど、でも下が足なんですよ。ひざがのどぼとけなんですよ。なんでしょうねこれ」と聞くと「うーん面白いなー」と眺めている。ヒザがのどぼとけなのは、何かの戒めなんだろうか。「お前なんかクビだー」についての抽象彫刻だったり。つまらない。


黒檀はふしぎな木で外見はふつうの木なのに芯だけが黒い。ペンキを塗ったように見えるくらいハッキリと境界があって、白くやわらかいのが黒く石のように硬く変わる。燃えないのでおみやげコーナーで灰皿になっていた

しばらくしておばさんが巨大な女の顔を抱えていた。買うことに決めたようだ。おじさんは本当は『のどぼとけが大きい男』がほしかった。「ここの置物はいいよねえ。床の間に置くといいよねえ。でもこれ(のどぼとけ)、裏が雑にけずってあって座りが悪いの。ほらみて。ガタガタするでしょ。飾ってて倒れたらねえ」一生懸命説明してくれるのを聞いていると、この人も少し取り付かれていたのかも知れない。

床の間におかれた女の顔は、GWや夏休みのあと孫たちの夢に出て苦しめるんだろう。