日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

『母よ!殺すな』

「過激な自己主張」と聞いて「青い芝の会」のことを思い出す。「愛と正義を否定する」青い芝の会だ。斬新に見える『おそいひと』のテーマもかつての運動のオマージュに感じた。(でも一般向けの娯楽作品として作ったのがすごい)

いまは良くも悪くも伝説になっていて、Webサイトによれば表立った活動はしていないようだ。介助ですこし関わった身体障がい者の団体では、やたらと対立関係を作るやり方を嫌い「ともに社会を作っていくため」理解を求めていく活動を息長く続けている。「楽しくなければ福祉じゃない」の「愛知県重度障害者の生活をよくする会」です。

『さようならCP』という映画がある。原一男(これまた伝説の)監督が青い芝の会と一緒に撮ったドキュメンタリーだ。解説によると(注:CPとは「脳性マヒ」のこと)

障害者も人間なのだという言葉は、障害者の側からも健全者の側からもよくいわれる。果してそうなのだろうか。私(CP)の世界を具体的に示さない限り、今まで安直に使われてきたこの言葉−障害者も人間なのだという−の精神構造から抜け出ることはできない。"視られる”存在から"視る”存在への視点の逆転を試みたドキュメント映画である。

「果してそうなのだろうか」すごいこと言うもんだ。これを読むとオマージュは違うのかな。人を殺す人として同じってことじゃなかったか。どうでもいいか。『さようならCP』も青い芝の会も知っていたけど一歩踏み込む気になれなかった。今回本とDVDを通販で買った。

母よ!殺すな

母よ!殺すな

やっとたどり着いた。青い芝の会の指導者・横塚さんの本だ。タイトルも強烈だし、人目をはばかって読まなければいけない気がしてしまう。おまえアレなのかよ、とか。でもぜんぜん違った。

帯にものせられた有名な一節です。

脳性マヒのありのままの存在を主張するところが我々「青い芝」の運動である以上、必然的に親からの解放を求めなければならない。泣きながらでも、親不孝を詫びながらでも、親の偏愛を蹴っとばさねばならないのが我々の宿命である(p.27)

長い文章の一節なので続きがある。

一方我々が人の親となった場合、親であることも蹴っ飛ばさなければならないであろう(p.27)

横塚さんにも生活があり子供がいる。それで悩みは深まる。『一番の不幸は脳性マヒ者の親から健全者と呼ばれる子供が生まれることである」といったらカンカンに怒られるであろうか(p.27)』困難を背負う人特有の明るさなのか、やっぱり横塚さん自身の人柄なのか、深刻な場面なのに読んでいて楽しい。

私の子供はまだ2歳であるが、もう親より歩くのが速い。親が我が子に自分の生命の延長として希望をもち、自分のできなかったことを子供に期待することは人として当然かもしれない。まして我々のように、一人前の人間として扱われてこなかった者にとってはなおさらであろう。(中略)親が子供に向かって「御飯はお箸できれいに食べなさい。こぼす子はおバカさんですよ」と言う。この極くあたりまえの言葉が我々の家庭ではあたりまえどころではない。親は匙をガチャガチャいわせながら、こぼしこぼし食っているのである。しかしこの子らは保育園、小中学校と進むにつれて健全者社会の教育をされ、常識をいや応なしに身につけていくであろう。そしてその常識をもって親を見、「先生が言ったよ」ということになるであろう。(p.116)

戦うのは障がい者団体でも障がい者の家族でもなく、相手は行政でも健全者でもない。健常者は障がい者へ、障がい者はさらに重度の障がい者へ。ひとりひとりの内にある差別と戦う。大変なのは、実際の運動を離れても生活すべてにおいて自分の内にあるものと戦わなくてはならない。

でも「加害者としての自分」を自覚することで相手をゆるすことができる(横塚さんはゆるすとは書いてないけど)。『だから前に書いた母の身勝手さも、まあ、そんなもんだろうなあ、ということになるのです(p.75)』これがあるから、この本は重い内容なのに救いがある。言葉はあたたかい。

重症児殺し事件の際、我々の仲間の一人がいみじくも言った「あの子は重度だから殺された方がよかったのだ」というこの言葉はまさしく差別者の言葉であり、健全者(一般庶民)の障害者に対する感情をよく表したものだと思う。(p.106)

障がい当事者は好みが分かれるのかも知らないけど、自分みたいな支援者、介助者にはどんな教科書より分かりやすくて公平な「教科書」だと思う。公平というのは、できあがった福祉の世界のことを、そこで生きていく業界人に向けて書いたものではないから。今はもう機能してないことも含めて、偏りがちな福祉の世界(この辺は知ったかぶりですが)にあって中立な位置だと思う。中立というか孤立というか。

CPにかかわろうとする健全者は、常に自分の属している世界にはみられない何かを知りたい、何かを得たいと思ってやってくるのだ。その要求を満たしてやれないCPは健全者を使うことはできない(p.267)


障害者運動とは障害者問題を通して「人間とは何か」に迫ること、つまり人類の歴史に参加することに他ならないと思う(p.123)

健全介助者の立場についての論争から介助者が離れていった。横塚さんは介助者との「心の共同体」というキーワードを残し亡くなった。おなじ奥行きはないけど、自分が考えたものにおすみ付きをもらったみたいだ。

自分は来週の6日で31歳になる。1978年1月6日生まれ。横塚さんが亡くなったのは同じ78年の7月だ。ぼくが共感したものは30年前の古くさいものなのか、今だからこそ活きるのか、心に留めつつ、行動要綱にあるとおり「且つ行動」しよう。