日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

かぎ

年末に両親と熊本で集まった。家族そろってユニクロに行った。今着ているライトグリーンのセーターは親父が選んでくれた。下着とズボンだけ自分で。のこりは母親が選んだ。というか頼んだ。衣類に興味がない。

高校生くらいのときは、ファッションが分からないことが恥ずかしかった。いまは本当にどうでもいい。ライトグリーンの服なんか自分ではぜったい選ばない。人に任せるのも楽しい。歳とともに言い訳もこなれてきた。自分を飾ることがウソっぽく感じる。アウトドア用のウェアみたいに無地で機能的なのでいい。なのでユニクロでいい。でも既成のものは流行とか色とか、勝手にメッセージを発信してしまうのが困る。できるなら自分で作りたい。

作りたい、とかっこつけてみたけど、そもそも服を買うのは帰省中が多くて、さらに、その場に母親がいたら必ず助けをもとめる。行きつけの店があるわけでもない。そういうルールにしている。服を買うのは緊張を強いられることらしく、いつも通りやらないとつらい。

親に蓼科高原で買った孫の手をプレゼントしたら「マゴの手より孫自体はまだか」と聞かれた。こういう情けない状況では、まだ時間がかかりそうだ。

福岡空港。カメラを構えたら、娘を撮られてると思った母親ににらまれた。

知的障がい者の施設で働いている。支援員というよく分からない職種です。自閉症の傾向がある人も多く、いろいろ変わったことをやってくれる。タンスの衣類を全部出して1メートルの高さに積み上げる人がいる。なんど戻しても5分後にはタワーが出来ているので今はそっとしている。

仕事から帰って電気をつけて、床に落ちている本を見つけて押入れの本棚にしまう。・・本棚が見えない。1メートルの服の山ができている。昨夜寝ようとしたらベッドの上の大量の衣類に阻まれたので、押入れに詰め込んだと思われる。天井近くには「服を床に脱ぎ散らかしてはならない。ただし壁に引っかかっていれば『整理』されている(広い意味で)」というコンセプトのもと針山のようにフックが突き出している。「支援」とはこういうものを作ることだと思っている。ひそかに。それもジャケットやジーンズで満席だ。

服についての行動も職場では「不安によるこだわり」だと判定されそう。障がい者も自分と同じ。というつまらない話ではなくて、虐待したり職員の都合で振り回したりしないにしても、この仕事は個人的なものと切り離せない。「助ける」ときは自分を助けている。「受け入れる」時は自分を・・。結果、みな考え方はバラバラということになる。その次は、統一しよう、理念を徹底しよう、となる。でも人がコロコロ変わるのでなかなか。

ニュースで殺し合っている人たちは大抵考え方が違うもの同士だから、バラバラで心配になるのは分かる。よく見ると、同じものが固まるから殺し合っていることも多い。豊かな森のように、全てがバラバラのままうまくいくこともある。

後輩が聞いた。「アラキさんって、なんで部屋にかぎかけないんですか?」長く空けるときはかけていたよ。昔はね。職場では車にかぎかけてるよ。「車はかけるのに、家にかぎかけないのが不思議なんですけど」かぎをなくしたとき、車はどうやっても動かないから諦めもつくけど、家はドアが開かないだけだ。かぎさえなければ、こんな辛い思いをすることなんかなかったのに!・・すみません。これは冗談です。「貴重品はないんですか。通帳とか」ないよ、たぶん、あったかな、でも印鑑は・・どこ行ったか分かんないし。・・すみません。これも冗談です。悪いとは知っていて言い訳もありません。ここへ来て8年ずっとこうだったから。かぎにはトラウマがあります。インド旅行に出発する日に、バルサンをたいて玄関を出て、かぎを忘れたことに気づいたんです。息を止めてガスの中を這って探しました。帰りのタイでは気管支炎ぽい症状で3日間食事も水ものどを通りませんでした。なぜかビールだけは、泡のクッションで飲めたんでずっと酔っぱらってたんですけどね。これは冗談みたいですが本当です。