日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

『おそいひと』

おそいひと、という映画を探してます。ひらがなで、おそいひと、です。ないですか、おかしいなー」先月の大阪からの帰り、名古屋駅と栄の大きなレコード店で聞いて回った。携帯で探してDVDが出ていると勘違いしていた。どうにかして早く観たい映画です。

TOPページ|映画「おそいひと」柴田剛 監督作品』(作品のWebサイト)

2004年に作られたものの、日本では公開できず海外で評価されて戻ってきた。昨年から上映が始まったけど、名古屋は終わってるらしい。無差別殺人犯をドキュメンタリー調で描く。音楽も良いとか映像美とか、観てないけど、今時のかっこいい映画だと思われる。犯人が重度の障害者ということが違った。
知り合いから映画のことを聞いてアートの人々はすごいと思った。年とともに保守的になってアート系な人たちへの憧れは減るけど、こういう仕事はアーティストの特権だと思う。固まってしまったものを壊したり揺さぶるには、対抗勢力がやいやい言うのを待つより一枚の写真(リンク先に「虹のまつり」で買ったアザラシの写真)のほうが強いこともある。

電動車いすに乗って会話補助器具を使う。恋愛感情のもつれから親しい介助者をまず殺す。これって自分の近くにありそうな話で、観てないけど、もう笑える。車いすの友人に話したら割と好評だった。

柴田監督はぼくと年があまり変わらない。批判されることを承知で作品を世に出した監督はえらい。良いアートは、黙殺されてアングラにならず、人々がふだん見せずに持っているものを引き出して「物議をかもす」。黙殺されそうになったし、いまだ誰も知らないから、スレスレを狙ったけどまだ沈みかけてる。

パンフレットで監督が「自分が言うことはなにもない。住田さんと福永さんの二人が映画のすべてです(うろ覚え)」と書いていた。そして、Webサイトでの住田さんのコメント

「障害者というだけで、過激な表現が暗黙の了解のもとに制約されてきた日本映画界において、障害者が常軌を逸した狂人として登場するこの映画は、優れた文化作品だと誇りを持って言えます。困難なことかも知れませんが、障害者が自分たちの文化を取り戻す作業が必要だと思います。」

アーティストに憧れると書いたけど、監督は頭がよすぎて冷静になってしまう。当事者の住田さんたちの運動の歴史に作品がつながっていて、批判も拒絶も最後はそこへたどりつけばいい。そつが無いというか。

でも監督大変だろうな。これを観た友人の友人は黙り込んでしまったらしい。映画のことを知り合いに知らせようとメールしたら「最近の知的障害者の殺人事件をどう考えるか」と返ってきて、盛り上がっていたのが吹き飛んだ。

障がい者はみないいやつだ→だから受け入れて」という古い流れが「障がい者はみないいやつだ→いや、犯罪も犯す→でも割合は全体のものと変わらないか少ない→対策も進んでいる→だから心配するな」になる過程なんじゃないかな。こちらの方が正確だし持続性もありそう。

「害がない」と思われている身動きも困難な重度障がい者の見方を変える。見方が変わった人たちはどうするだろう。昔と違って対話する手段はたくさんある。電動車いすもメールも。じゃあ知的や精神の人たちはどうだろう。むずかしい。タブーはまだまだたくさんあるようだ。『おそいひと』は破っても社会の価値観がどうにか持ちこたえられる「廃れかけのタブー」を壊した。

住田さんのような身体障がい者には自己主張と社会変革をめざす長い運動の歴史がある。タブーが廃れるかどうかはその蓄積じゃないかとも思う。

映画を観て嫌悪感を感じた人がいろいろ調べ始めたとする。運動の歴史と、現在街で見かけるバリアフリーなど勝ち取ってきたもの、依存を嫌い自ら学ぶ姿勢を知る。頑固でも、理性的な人たちは少しづつ受け入れるだろう。感情的に毛嫌いする人も、福祉業界で飯を食う自分も、感情が先に出る点では似たもの同士でうまくない。自分のいる知的障がい分野の弱いところが、うまくいえないけど分かる。