日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

「救急車呼ぶのも○○」

ピープルファーストの「ミニミニ大会」に出るため名古屋へ。今年は全国大会が東京であった。その東海地区版です。

○○の中は「仕事」、つまり「病気ではないけど、調子を崩して救急車を呼び、騒ぎをおこす」のも仕事だということ。「安易な救急車利用はNG」という時代にきわどいことを言う。これだからPFは嫌われるんだ。ぼくの周囲には嫌いな人も多い。もっと嫌ってほしくないので書きづらい。違うことやってるから良いんだ、という風にならないかな。
言ったのはPFの人じゃない。岡崎の自立生活センターの鈴木さんの言葉だ。健常者と比べて「出来ないこと」ばかり羅列されて生きてきた。猛反対を押し切って一人暮らしを始めたら、健常者と同じやり方でなくても時間をかけて怪我をしながら出来るようになった。地域に出れば一人の消費者として貢献もできる。「車いすで町に出て、小さな段差が誰かにとってバリヤだと、町の人に知ってもらうのが私の仕事」そして救急車。

鈴木さんの話は『地域生活を楽しむために』というタイトル。「昔は措置で施設に入れられた。命だけは永らえられるかも知れないが、どう生きるか、ということが本当に大事です」怪我をしながら必死で生活していても楽しかった。外に出ることは怖いかも知れないが「障碍は理解なんかできない。こういう人がいるんだ、と周囲が慣れてくれるしかない」そのためにも出て行かないと。教育「分けることが一番問題。自分は養護学校の閉じた世界にいて、普通の同年代が何を考えているのか知りたかったけど受験することも出来なかった」

名古屋の自立生活センターekumoの小林さんも「障がい者はただ外に出ることが運動だから」という。自立生活を選んだ人は同じようなことを言う。文章では伝わりにくいけど、鈴木さんは優しい和尚さんのような人だ。後につづく仲間のために「救急車」の話をする。「本当は自分なんかが出しゃばりたくないんだけど」と言いつつも、救急車で迷惑する人たちを含んだ、社会に向けて話し続ける。

豊田市のサラリーマンの自殺者数が全国一だそうだ。たった今ニュースでやっていた。市役所を取材してて中の人は大慌てだった。

障がい者は、仕事ができない生産活動に参加できないから自由が無いのも仕方ないという風に見られる。鈴木さんは、それに対して、形として出ない社会のための仕事があると話す。

たしかに健常者の仕事を頭に浮かべると、農業のような「それが無いと生きて行かれない」重要な生産活動は少ない。ほとんどの仕事は「それによって少し豊かな気分になったり、少し楽ができる」ものじゃないかな。無駄といえば無駄だし、それが人にとって一番大事といえば大事だし。娯楽やアートは純粋な無駄なのに、それが無いと生きていけないと言っちゃう人もいる。自然がなくなれば高いお金を払って庭にウソの自然を作る。足りないものには需要があって経済が回る。分離教育などで、居たはずの人たちが見えなくなっている。今は地域社会というのが薄まっている。(途中)

日本で一番モノを生み出している会社で働く人たちが絶望して死んでいくんだ。健常とか障がいではなく、ここで暮らす人間一般の問題だと思う。

小林さんの「外に出ることが運動」は、施設で暮らす僕の友人に向けた言葉だった。こういう集まりに出てくることだけでも意味がある。PFメンバーの「元気が出る話」で、「頑張っていることは何ですか」と「さいきん自分で決めたことは何」という問いかけに友人は答えられなかった。何かあるだろうけど、施設にいてできることは限られている。言うのが嫌になったのかもしれない。自立、とか生活スタイルが変わることは表面的なことだ。彼が鈴木さんのように自信を持って自分を語り始めたらすごいことだと思う。今でも十分すごいけど。

話したいと思っていた人たちが皆来ていた。ぜったい良い集まりになるから、と母校の福祉系の学生に呼びかけたけど一人も来ず。寂しい。前日に呼びかけてもダメかな。一人は来ると、一人来ればそこから広がると思ってたのに。待ち合わせ場所で待つ。女子大生が来ると友人に期待させすぎて悪いことした。

一件会場に問い合わせがあったらしい。結局たどりつけなかったようだけど、希望は残った。