日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

『逆光の中の障害者たち』 1982

ロックマニアの先生のところへ遊びに行った。「なにか面白い本ありますか」と聞いてみると、本棚の一般書→趣味のコーナーから「ロック大教典」を指さし「これこれ、読んでみなよ。ぜんぜん面白くないから。ヒャハハ」。音楽雑誌の「ロッキングオン」のライターが書いたもの。「最初のミニコミのようなことやってたころは面白かった」
1978年の創刊したばかりのバックナンバーが出てきた。投稿記事も多い。すごいのは「友達募集」コーナーに実名、住所、電話番号を明記してあること。学生で下宿している場合は「◯◯方 荒木」とちゃんと書いてある。早熟な少女の切実な悩みが目を引く。「まわりには話が合う友人がいません。私が好きなのはビートルズレッド・ツェッペリン・・」14歳の女子。「なんだ、おれと同じくらいじゃないか。おれが14のころなんか、ひどいぞ。ショックだ」30年後はどんな女性になっているんだろう。ちなみに中古業者はこういう情報から元ファンの押し入れに眠っているグッズを買い付けるそうだ。

最近どうにか削りたい無駄なネットサーフィンの時間にみつけた26年前の本。中古アマゾン一円で買う。日本神話の蛭子(ヒルコ)、脳性麻痺ローマ皇帝クラウディウスから「エレファントマン」まで、歴史や物語に出てくる障がい者を通して時代の障害観を語る。すげー面白い。編集が。内容ももちろんいい。内容と編集に区別は無いことも分かった。

逆光の中の障害者たち―古代史から現代文学まで (1982年)
障害当事者ヤスシとルミとの対談形式で進む。聞役のルミはよくある、つまらないFAQ的な質問をして大げさに納得しない。噛みつくし最後まで納得しない。多少差別的な表現があっても自分が好きな作品なら理屈ぬきに擁護する。構成も面白い。史実とフィクションを区別しない。物語にこそ時代の価値観が反映される。登場人物を分類しない。人を分類することは出来ない。してはいけないというより出来ない。時代順に並ぶ。

これもユニバーサルデザインだと思った。目に見えるデザインのユニバーサルデザイン(以下UD)ではなく、もう一つ深いもの。普通のUDは何かサービスや情報に誰もがアクセス出来る方法なら、これは情報なりを偏りなく理解する方法。反対意見もふくめた全体像を知り、無意識的な偏った分類や価値観をなるだけ排する。こう書くと障害当事者が書くから良い、になっちゃうかな。普通のデザインが特定の人だけを対象にしていたと気づいたところからUDが始まったとすると、理解のUDは「どんな情報も無意識に意図や価値観で歪められている」という発見から、より情報を正しく伝える努力をする姿勢だと思う。書いててよく分からない。

UDをよく思わない人がいたけど理由は忘れた。たぶん「偏りをなくす優れたデザイン」では間違いで、人のなすことには当然偏りがあって無くすのは無理という自覚がUDの本質と思う。ふつう、という物はない。とか。

先生と坦々麺の店に行く。話題の店。濃厚だけど近所のラーメン屋のように腹下さなかった。ちゃんと作ってるんだろうな。南米系のマスターが作る。坦々麺は中国が起源だけど日本にしかないと山岡@美味しんぼが言っていた。豊田らしい店だ。