『大いなる勇者』
帰省して見た映画。良い映画らしい。緑茶と栗ようかんを用意して、リクライニングチェアに埋まって、最大限に期待して見る。良かったなあ。
ロバート・レッドフォードが自分で撮ったんだから当然かっこいいんだけど、表情がいいね。自然もいいけど、意外と「顔芸」の世界だ。奥さんのスワンはとにかくひどい顔だった。だんだんほぐれて良い顔になる。ジェレマイアが最後まで口にしなかった、スワン作の激マズ料理を食べたい。若いころの青い顔、パパの優しい顔、怒り、戦士の目。ヒゲ伸ばしたり剃ったり、ロバート・ファンにはたまらないろうな。
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ジェレマイアと先輩山男たちは、そのままwikipedia:マウンテンマンと呼ばれ、200年ほど前のアメリカで毛皮を獲って暮らし、町に暮らす人々から仙人的なあこがれも含んだ目で見られていたらしい。
山を下りれば法にも精神病院にもお世話になりそうなオヤジが叫ぶ。
クロー族の聖地には風葬の遺体が並ぶだけだ。それが映画の中で一番印象に残る映像だった。法はないけどクロー族の掟を破ると殺される。頭の皮を剥ぎにくいように坊主にする奴もいた。けど国家のように大きなものが管理するための法ではない。戦い続けることで自分の存在を主張することもできる。
殺しにくる相手の中には「敵の強さは部族の誇り」という深すぎる考え方(言い訳じゃないの)があって素晴らしく共存している。「顔芸」の理解は案外あたっているかもしれない。人間を複雑にするものを切りはなし、ロッキーと熊の中に放り込む。なぜ笑い、悲しむのか。人間の原点を見せようとしている。聖地は死と向き合う方法のひとつ。
そして、なぜ戦うのか。身を守るためではなかった。山を下りればいい。失った家族のためでもなさそう。それにしては戦いすぎる。テレキネシスでは「孤独との戦い」という理解だった。ベトナム戦争末期という時代背景もあるそうだ。戦いは動物的な本性でもあり、同時にもっとも人間らしい複雑さと闇を持つ行動だと思う。
生物はある割り当てられた領域を侵す敵と戦う。または相手の領域に入って糧を得る。人間には領域を(ニッチで合ってるかな)際限なく超え、作り出す能力がある。なら戦いは野蛮で醜いが宿命だとも思える。映画評の中には「映画としては荒削りで未完成な」というものもあった。もしかすると違うかも知れない。良くできた映画にするな、ドラマにするな、人間を簡単に理解しようとするな。
英語でジェレマイア・ジョンソンを調べたけど、ぼくの検索能力ではたいしたものは出てこなかった。彼は物語に出てくる伝説の英雄で「リバーイーター」という肩書きがついていた。インディアン風に書くと「肝臓を食う男」。殺した敵の肝臓を取り出して食べた。殺された(疑似)家族も頭を剥がれていたらしい。それじゃ男前レッドフォードが「脳みそ食わせろー」になってしまう(バタリアン)。