日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

東京二日目・前編

お台場

これが民主主義か。福祉の話ではない気がする。

先のピープルファーストは権利擁護団体である。厚労相から来た牧野さんへ各地域ブロックから意見を言う。意見を言う?近い表現にしよう。ぶつける、吐き出す、食ってかかる。最後の小田島さんは激しかった。「あんたらは障害者や老人は死ねばいいと思ってるでしょ。いーや思ってる!」だんだんステージから遠ざかってゲートで聞いていた。会員になるとは重いことだ。頭痛がする。
去年の広島大会では抗議行動やらハードなのには参加しなかった。二日目の分科会だけ出て、それはよかった。今回は飲んだくれて二日目を寝すごした。だから初日の印象が強い。二日酔いがなくても頭が痛い。

手がかりは「当事者性」だ。むこうの支援者に話を聞いた。支援者の多くが無償で来るのは、奉仕ではなく、そこでしか得られないものがあるから。「彼らの側に立つことは無理でも、同じ場にいることで感じ取れるものはある。それが当事者性に近づくこと」

これは受け売りだけど、老人や障害者の問題は人間関係問題なんである。知的障がい者周辺はとくに関係がややこしい。ぼくが来たのは、当事者運動の場で余計なものの入らない声を聞けるから。力になろうとか当事者性の考えはなかった。面白そうだし、なにより、ややこしい関係が苦手だ。同じ歪みでも過剰でも、彼らだけのものならいい。すっきりして、荒んだ職場へ帰ろう。運動自体に共感できなくても出来るところは援助し得るものもある。今はそういう「関係」ということ。

東海ブロックからは女性がしゃべった。家族に励まされながら好きなパン屋での仕事をがんばっていることをトツトツと話し、最後にさりげなく「もっとたくさん仕事があるといい」と要望を入れていた。ガツガツした男たちのなかで唯一の女性は印象に残った。カルフォルニアから始まった運動で、日本で大会が始まった当初は金と恋愛の話ばかりだったそうだ。他の当事者運動から学び「意見を言うこと」を学び変化してきた。

総会でいろいろ決め事をするのだが、議決権のある会員が帰ってしまい止め。つぎは来年ね。普通ありえない。でも健常の支援者から諭されるのではなく、体で覚えて前に進んでいく。

会員にはたぶん自立しているか自立生活を目指す人が多い。依存を嫌い自分で責任をとる選択をした。失敗ばかりだと思う。その中からうまれた言葉は、援助に頼らなければならない弱さと、自立した人間としての自己主張がぶつかり飾りや嘘がなくて好きだ。すこし抜粋。(強調は荒木)

<アドバイザー(支援者)に もとめていること>より

・わたしたちが、わからないとき、こまったときに支援をしてください。わたしたちが、支援を必要としていないときは、口を出さないでください
・支援者が「いい」と思っていることを、おしつけないでください。。わたしたちには、「いいこと」も「わるいこと」も選ぶ権利があります。それがなぜ「わるいこと」なのか、知る権利があります。 

<自分を信じる10のかぎ>より

変えられないことをうけいれよう。「自分のハンディ」や「自分にとって難しいこと」を知り、認めよう。支援があればなんでもできる!!
本当に大切なことは何かをかんがえよう。自分にとって大切なことは「自分のわがままを実現すること」ではなく、周りの人や社会との関係の中で社会の一員としての自分を「自己実現」するということ。
・楽しみをもとう。楽しみがあると、多少辛いことがあっても、がんばろうと思えるし、心にゆとりができる。だけど、楽しいことは毎日続くものではないことを、しっかりと知っておこう。