日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

沢田マンション

伝説の沢田マンションに一泊した。(ウィークリーマンションもやっている)

ついさっきチェックアウトしたばかり。と言っても管理人の説明通り「部屋のなかにカギをおいて好きに出ていって」しまえばいい。ぼくの日記は書きかけだらけで読みにくい。印象が強い出来事があると何から書いていいか分からなくなる。しばらく寝かせて忘れたころに書き足すことも多い。今回は「日記をその日に書く」という地味なチャレンジである。印象は強烈すぎてハードルは高い。

当日

強烈な個性や出来事に出会うと奇妙でこっけいな部分を取り出して理解しようとする。そのほうが楽だし、理解せずに距離を縮める「笑い」の良しわるしでもある。例のちんこ祭り d:id:Araki:20080316:1205692327 で学んだこと。沢田マンションについての噂は「素人の夫婦が手作りで違法建築やってる」その規模がハンパでない、というもの。

素人じゃない。故人のご主人・嘉農さんが小学校しか出ていないという学歴差別に近いものだ。小学校を出てから製材業に打ち込み人の倍の日当をもらう腕利きの職人になった。奥さんは一緒になってから日々嘉農さんに家作りを叩き込まれた。20歳で建売り住宅一軒ひとりで建てた。家を作るために生まれてきたような二人。ご主人については未完のマンションを作りながら亡くなったので「ような」ではなく、やっぱり家を作るために生まれたんだろう。

沢田マンションの何がすごいかは名著amazon:沢田マンション物語を読んでほしい。書ききれないし「五階まで車で上がれる」「屋上に田んぼと釣堀がある(あった)」など表面的なことはどうでもいいと思う。もちろん「読んでほしい」と偉そうに書いても誰も読む義理はないわけです。かわりに貴重な休日をとっておきのものにする提案としては、何か高知市に用ができたときウィークリーマンションに泊まること。

大家に断ってぐるぐる見学したあと、備え付けの「沢田マンション物語」295ページを徹夜で読み、仮眠したあと住人の出勤時刻にもう一度見学する。ありえない所から車が出てきたり、自転車でスロープを駆け下りる女子高生を見ることができます。観光目的なら、そのまま帰ってもいいと思います。高知県人の気質、生き方が形としてここにあります。自由を尊び管理を嫌う、自然への愛着、県民ジェンダーもあるかな。七月には「絵金まつり」がありますよ。

夫婦の目標は「100世帯のマンションを作ること」。本を書いたころは70世帯だった。お金がないから部屋が出来た端から売っていって、横に建て増し、縦にも階もだんだんに増やしていった。2階の見学者コーナーに「沢マンの謎」として「地震が来たら終了?」というきわどいQuestionがあった。じつは仕事をたくさん残して帰省したのは「地震が来たら終了」だと思ったからだ。実際今日東北で地震があった。答えは「大家さんは100年住み続けられると言っている。でも来てみないと分からない」だった。沢田マンションは10階建てにする構想で、それに耐えられる設計になっている。

手作りにも程度があって、基礎はプロがやってあとは自分でやる、なんてのは聞いたことがある。沢田さんたちは岩盤まで6メートル、借手きた重機で掘り、井戸は奥さんが削岩機で数十メートル掘った。ご主人が土砂を引き上げ、酸欠にならないように空気を送った。なんでも分業でやるこの時代に、手作りするのは案外むずかしい。巨大なクレーンも自作した。

はじめはお金が無かったから自分で作った。そして多分自由に作りたかった。設計図を描いたことはないそうだ。それだけはっきりしたイメージがあって人の色が加わるのが嫌だったのか、作りながら細部は変わっていくから人のペースに合わせていられないのか。僕のとまった12号室にはワンルームなのに暖炉があった。囲炉裏かな。規格外のものを作ると必ず他人が何か言いだす。35年前に県初の地下駐車場を作った。すごい仕事量だったようで三日寝ずに作業することもざらにあった。人と合わせる時間が惜しいのかも知れない。

一からすべて自分で作り運用までするのがいい、という話はインターネット・サービスの世界でよく聞く。先人の賢明さと努力で整備された道を走るITの連中と比べるのも申しわけない。資金がたまると山を買った。手作りは材料の木を製材して組むことではない。「専門性」が恥ずかしくてクネクネする。彼らの家作りは林業から始まる。チェーンソーで切倒すのは奥さんの仕事だ。

三日後

けっきょく日記の日付から三日たった。珍スポット西日本代表に一泊したのに面白おかしく話せない。珍スポットはいろいろ行った。竜馬歴史館、関が原ウォーランド、桃太郎神社、作者の情熱が生活に潤いを与えてくれる。「沢マン最高でした」としか言えない。ふつうありえないものがあった。「ふつう」は自分の居心地の良いものか悪いものか。「ありえないもの」は異端か理想か。

人が暮らしていく場「家」は大事だと思う。最近とくにそう思う。自分が住む賃貸アパートは「暮らす場所」としてより不動産の有効活用として建てられ、自分はせっせと家賃を産む経済動物になる。一戸建てが並んでも昔のような「地域」にはならない。「街」にならない。仕事は違う、車で出かけてしまう、少ない子供は外に出ない、独居の老人には家自体がバリアになりそうだ。沢マンのすごさは「全室間取りが違う」「改造フリー」だと思う。いろんな世代、家族構成を受け入れられる。社会は変わってきてるのに住まいはワンパターンなままだ。外張り断熱とかどうでもいい。人間らしく暮らす場がここにあると思う。

受付してくれた娘さんは「父は亡くなったけど、ここに居ると父がそばに居るように感じる」と言っていた。見えるもの全てがその手で作られたんだから。僕みたいな野次馬を喜ばす定番のセリフかもしれないけど、ここの有り余る自由に対する秩序は嘉農さんという人間の影があることだとも思う。そして無駄がある。余計なもの合わないものを受け入れる余地がある。嘉農さんは100年持つ、10階まで増築できる強力な柱を、深く固い岩盤に打ち込んだ。あとは住む人の自由に。変えられるし、変えなければならない。家の作り方とか売り方とか「柱」でないところが固定されると住む人の自由はなくなる。

一週間後

やっぱ日記は後で書いた方がいいな。