日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

連休の旅二日目

静岡へ。亡くなった人について長いこと話した。常識のない自分が死について話ができるのは兄貴のおかげ。はじめて兄に感謝だ。
ある集団から一人減るのはさびしい。でも残された人の結びつきをつよくする。ことも多い。減ったことばかり見なくてもいいと思う。

兄は、僕が付き添いをさぼってラーメンを食べに行く途中でなくなった。一週間前、僕が病室から帰ろうとしたときに呼吸が止まり、いいかげんな人工呼吸で持ち直した。それで弟に邪魔されない時間を選んでいった。選んだのか勝手にそうなったのか。弟の切実な願い、ではなく新しい関係ができて、今も続いているだけだと思う。

意識のない兄の横で、家族は自分のことを話す。兄について話し始めたのに。起きていたらこう言う。「言ってること全然ちがうしワーワーうるさいんだけど」話を止めるか「あんたのこと考えて言ってんの」と言い返す。これが普通のコミュニケーションだけど、返事しない死者か死にかけの人に対するのは、自分に向き合うのだと思う。就活でもやらなかっためったにない機会だ。残されたそれぞれが勝手なことを言っていて、それぞれを理解し合う。

知的障がい者に関わる仕事をしていても似た状況になる。一人の人がいろんな視点と考えによって支えられているのは、言うほど悪くないと思うんだけど。定職について30になると死が少し身近になった。