日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

この街

夜勤明けはいつもの世界が倍美しく感じられる。職場からの坂を下るところで、庭仕事中のおじさんに話しかけてみた。「暑くなりましたね」

盆栽と陶芸が好きな趣味人がいることは知っていた。「あなたの仕事場ができる前までは良い土がここらでもとれた」

ここはトヨタ豊田市の町はずれ、丘陵地、工場は離れている。おじさんによると、僕らの仕事場ができるまではとにかく山また山だった。最近人が来た。歴史はあまり感じない。くだものはよく採れる。

でも、ここの土はおじさんの趣味に使われたのではない。かつて陶器生産の国内有数の拠点だった。平安時代より前からだそうだ。ここ猿投から技術が伝わっていき、北の瀬戸と南の常滑の現役ブランドはそれを受け継ぐのだそうだ。
猿投窯 ー 日本陶磁の源流

豊田市駅の横を矢作川が南北に流れる。川の西に人が住み工場が立ち並ぶ。できた車は、さらに西の金城埠頭をめざして運ばれる。東には何もない。北は猿投山が邪魔をして人は少ない。ふもとの丘にくだものが成る。

その昔、例の猿投古窯が廃れると瀬戸の窯がブレイクし、東へ、遠く江戸まで運ばれた。その時代の皿やらは地元に残らず関東の蔵から出てくるそうだ。海へ出る最短ルートは矢作川だ。今は誰も瀬戸から矢作川を目指さない。誰も使わない猿投山を越える峠を製品を乗せた車が行き交った。

上る船は岸から綱を渡して人や牛が引いた。ここは長野へ抜ける飯田街道が川を渡る地点でもある。塩の道。河口の吉良で塩が採れた。今はダムしかない渡河地点に廻船問屋が建ち賑わった。

飯田街道。旧街道は大学の通学路の途中にあり、職場への近道もそうだ。道は面白いと初めて思った。使われなくなった旧街道は廃虚といえる。あれだけたくさんの人と物を通し、時代を背負って廃れたら、それはぞっとするくらいの廃虚になるはずなのに、たいていのどかで安らぐ小道になっている。

切り絵・飯田街道紀行 (すばらしすぎてファンメールを送った。返事なかった)

http://www.rakuda.ne.jp/bookers/fudoki/

いつものマイペースながら仕事がゆっくりと進んでる気がするのは、意欲でも能力でもなく、毎日この道を使っているからだと思う。生まれて、この道を日々通り死んだ、何十代という人々の後を歩いている。