日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

『うつ病がなおりました』

生きもの賛歌

好きな漫画は「栄光なき天才たち」「人間交差点」。人間賛歌、それに恥ずかしくなるくらい表現がストレートなのに弱い。で、行ってきました、伝説の奇祭・田縣(たがた)神社の「豊年祭」。「インターネットは怖い」と思ったのは年食ったせいだけじゃない。この祭は前から知っていた。ネットで知ったけど、ただただ悪趣味で、あやしい秘宝館と同じカビくさい臭いがした。記事を書いた人は見たまま感じたままを書いた。それなりに的確なフィルターを通って理解よくビジュアルに書かれた情報は、パソコンのモニターでザッと見て素通りするネットの住人からの評価が高く、より見られる場所に移ってゆく。ご神体は、見るものの「体に」直接作用するためにそそり立っている。頭の中の薄いフィルターを通った言葉は何も伝えない。生きるもの全てを肯定する、あの前向きというか↑向きの力が消えてしまっている。あけすけにストレートな生命の賛歌は自分好みで、やっぱり好きになった。
上の段落は祭から帰った興奮冷めぬ夜に書いたものです。意味が分からない。何の祭かといえば、ネットで見たどんな解説より、お守りの袋に印刷してあった公式の説明書きがよく分かる。

弥生十五日 豊年祭(ほうねんまつり)

国の内外で有名な豊年祭は、毎年三月十五日に執り行われます。この祭は直径60センチ、長さ二メートル余りの大男茎形(おおおわせがたー男性の性器)を毎年新しく桧(ひのき)で作成し、それを厄男達が御輿に担ぎ、御旅所から行列をなして当社に奉納し、世界平和と万物育成、豊年を祈願する祭です。
当日は世界各国からの参拝客で境内は埋まり、国境を越えてみなほほえむ祭で、まさに「天下の珍祭」であります。

秘宝館じゃないはずだ。カビ臭いわけもイカ臭いわけもない。毎年作り直している。とてもきわどいことをやっているけど、このフレッシュ感が明るさと解放感を加えて、ここの空間が部外者にも気持いいものになっている。やっぱり残っていくものというのは、見た目の奇抜さの奥に普遍的なものがあって誰にでもどこか受け入れやすい余地を残している。

30になって保守的になったらしい。インターネットは怖くて普遍的な価値だとか書いている。それをご神体から学べるところが若さだ、と思いたい。

みこし行列

祭のハイライトは約一キロのみこし行列です。先頭は天狗。

  1. 天狗 やっぱり。とくに特徴のない鼻だった。
  2. のぼり 有名な細密画のぼり。地元の牧野植物園で見た感じの細やかさだ。あれは科学者の観察眼だと思う。
  3. 巫女さん四人 有名な巫女さん。子供をあやすように削りたてのご神体を抱えている。意外に若い人もいる。最初表情がこわばっていたがだんだん余裕が出てくる。「まださわってない人いませんかー」
  4. 女の神さんをのせた御輿 ふつう。妙にふつう。これを追っかけ回すわけだ。
  5. お札をたくさんぶらさげた木 兼ふるまい酒を運ぶ車。干しイカと昆布も配っている。つまみが付いて地酒がおいしい。この神社はPRもサービスも優秀な企業みたいだ。関連製品のデザインもいい。お守りや屋台のチョコバナナ。忙しく動きまわる係の人たちの間に、空気のように自然に、ご神体が起立している。
  6. 超特大ご神体 これが回る回る。のべ100回転くらいするんじゃないか。タテにも動く。男に写真を見せると、モノは見慣れているし、祭の内容にも興味はない。ただ、片方が「スパッと切られている」ことにこだわる。「輪切りなんだな」「ずうぶんきれいに切っちゃうんだな」「切ないな」。
  7. 「まだまだ現役」隊 ただ大きいのが元気に回ってるだけじゃない。ちゃんと歴史がある。行列の最後は年配のじいさんたちが、これまた年期の入った深いツヤの出たご神体を持って観客にアピールする。「ホラホラどうだー」と女性のところへ持っていくと、常連客は心得たもの。「おじいちゃん、まだまだ立派やねー!」


Throwing Rice-cakes 「もち投げ」

最後にもち投げがある。もちはライスケーキというらしい。4時からスローイング・ライスケーキと書いてある。とにかく西欧系の人々が多い。もともと外国人は多い土地柄だけど、西欧系でない人々が圧倒的に多いはずなので珍しい。

見渡すと西欧系のグループがあちこちにいて、すれ違う人の5人に一人は白人だった。数千人という観客の中だから、愛知中の西欧人が集まっている計算(?)になる。日本各地から、でもすごいことだ。こんな小さな祭に来るなんて。短期の旅行の予定に入っていたならもっとすごい。長期間滞在してる西欧系の人は多くない気がするから、彼らの人生のほんの短い日本滞在時間のうち、たまたま3月に日本にいた内の多くが、一日使って不便な町の小さな祭を見たいと思った。あんまりすごくないのか、分からない。来年は少し勉強してインタビューしよう。外語大出の内川くんを連れていこう。

彼らは一番熱心な観客でもある。カメラを持って街路樹に登っているのはたいてい彼らだし、100円アップでリアルな細工をほどこされた屋台のチョコバナナを他の客に突き付けて遊んでいる。好奇心旺盛な民族性というか変態というか、ああそれは一緒のことなのか。

ガンマンのコスプレイヤーがいた。日本人だけど相当きまっていたな。その筋では有名な人かもしれない。境内の石畳に堂々と立ちつくし、写真を撮らせてもらっても慣れたものだった。どっちのガンが強いかって話なのか、大事なことを聞き忘れた。見たい映像としては、ご神体みこしと向き合って勝負となり、「東洋のガンマン」に思い切り踏つぶされてほしい。

あんな野蛮なもち投げは見たことがない。30分くらい前から人が集まってきて、テニスコートくらいの広さの駐車場に満員電車くらいの密度になっている。千人とかいるんじゃないか。「老人、婦人、子供は今すぐ外に出るように。怪我をしても当社は責任とらない」としつこくアナウンスしてる。何度も言いすぎて、客も司会本人も飽きてきた。「あとからガタガタ言ってきても知りません!いわゆる自己責任です」と気の効いたことを言って場内盛り上がる。若者に混じって僕らも中に入ろうとしたがすぐにつかえてしまった。中から貧血で倒れたらしい「婦人」が担ぎ出される。

開始の号令は「投げ方はじめ!」だ。固さといい大きさといい、鏡餅の上段として認められそうな代物が降ってくる。なんとか一つづつ取ったけど、突き指した。熱狂は続いていたが怖いので逃げ出した。もちは、寝れない苦しい夜勤の夜に当直室のヤカンで煮て食べた。

絵馬より

神社に行くと絵馬を見て回るのが好き(って悪いのか)。不妊治療中の人、妊娠中の人、切実な願いが並んでいる。まつりで吸い上げたエネルギーは、生命への希望にあふれた願いをかなえるために使われる。この循環は、自分のかかわる福祉の仕事の原点だと思うけどうまく表せない。そして、この神社は世界中から力を集めている。偉大だ。この町はどんな人を育てるんだろう。

ある子供は「ウィーがほしい」と書いていた。たぶん男の子だろうな。自分に、楽しいWiiリモコンがついてることにいつか気づくといい。願いが叶うとお礼に「叶絵馬」をつるす。そこに「うつ病が治りました」という叶絵馬があった。たぶん本当だと思う。ただ生きてることを認める力がこの祭にはある。