日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

富山県八尾・風の盆

数年前の「風の盆恋歌

いつか見に行きたいと思いながら何年も経った。九月の頭三日と日程は決まっている。祭りを知った最初の年は、興味を持って調べたら終わったばかりだった。梅坪の古本でたまたま「風の盆恋歌」を手に取ったのがきっかけだった。

おっさんたちが喜びそうなしっとりした話を読みたかった。いい日本語が読みたかった。不倫はよく分からない。死なんでもいいのに。ストーリーはいつか理解できるだろうか。話は抜きに、とてもいい文章だった。一文一文をゆっくり「、」や「。」とか作者の呼吸に合わせて読むこともしてみた。ストーリー抜きの読書。タイトルがいい。「風の盆」なんて良い日本語だよ。こうなると作者も抜き、不思議な読書だった。日本のどこにあるんだろう、この町は。
次の年は大学も終わりかけで忙しく、もなかったけど、心の余裕がなく動けなかった。次の年はヒマだったけど、暇すぎると時間は自由にならない(フリーターの名言)。翌年も。

午前二時 提灯と胡弓の音

3日が休みになった。2日の夕方仕事が終わり、車に布団とカメラを詰め込んで高速に乗った。約300キロは高山から下道でも四時間あれば着くかな。23時前後、終わりかけでも一番盛り上がるころだ。しかし、不覚にもSAで四時間寝て、着いたのは深夜2時半だった。静かな夜、車どおりは少ない。サークルKの明かりだけ浮いている、よくある田舎町が八尾らしい。あとの祭りは寂しく、まったく不覚だった。とりあえず川を越えて旧市街へ歩いてみる。

提灯が誰もいない道を照らしている。人はいた。だいたいは帰る人だが、自転車で奥へ入っていくのもいる。五時間エンジン音を聞いて、いまは町へ入るところの川の音が遠くに聞こえる静寂だけ。だんだん耳鳴りが静まると、別の音が聞こえてきた。町の日常にはない胡弓の音はかすかなのに、ここにいる現実感が薄れる。胡弓の近くには踊り手がいて、人々は胡弓の音に集まる。観客は10人ほど。人がいてよかった。

旧市街の入り口、天満町の公民館前でこの日(たぶん)最後の踊りだった。ぼくが追い付くと拍手で解散となった。町の奥から戻った別の踊り手たちを「おかえり」と迎えている。奥へ向かう。奥へ行くのは少なく、帰りの客と踊り手たちとすれちがう。

前から胡弓が聞こえてきたが、若手が帰る途中に練習しているらしい。同じフレーズを繰り返している。となりに若い女がいて、風情抜きの雑談で盛り上がっている。通りすぎてしばらくすると、うしろから唄が聞こえる。反対向いてるのによく響く声は、さっきヘラヘラ笑っていた風情なし女。これからかっこいい老若男女にたくさん出会うことになる。

午前三時の町流し

踊り手はもういないようだ。諏訪町から一番奥の西新町まで石畳の道がつづく。これが小説に出てきた石畳の坂か。それだけ見て帰ろう。ところどころに小さな人だかりがあって、地方(じかた)という音楽担当が軒先で演奏している。

人だかりの脇で人が寝ている。よく見ると提灯の明かりが届かないところに団体様ご一行が鈴なりに寝ている。公園とかに行って本格的に寝るつもりはないんだ。いつかやって来る町流しを見るため場所取りしつつ、眠いから寝るんだ。サンタを待つ子供のように、けっきょく本格的に寝る。

町流しは来た。先頭の踊り手にカメラを持ったおっさんたちが群がる。フラッシュも使う。明滅する赤目防止のフラッシュを使うのもいる。馬鹿におもちゃを持たせたらいけない。自分も一眼レフを肩に下げていて、仲間に見られるのが嫌だった。

町流しが来る前に観客担当がカメラマンにフラッシュを控えるように注意して回っている(町によって度合いは違うようです)。祭りの雰囲気を壊してまで何を撮りたいのか。良い写真なんか撮れるはずがない。

かくいう僕も注意された。休んでるカメラファンに話しかけていた。これだけでも雰囲気壊れるんである。橋を渡ったあと最初に聞いた胡弓の音を思い出す。静まりかえった暗い道をゆっくりと進む町流しのメンバーの姿、顔が提灯に近づく一瞬だけ見える。おわらによく使われる「この世のものとは思われない」という表現は、観客も参加した細やかな演出によるものなんだと思う。

午前四時 地方(じかた)の町流し

踊り手は本当にいなくなった。裏通りに入ってみる。白壁の蔵が並ぶ狭い路地にも提灯がずっとつづく。地方つまり音楽担当の胡弓、三味線、唄い手の町流しがやってきた。最小編成のトリオだ。観客はいない。これまではいないと思ってもどこかに隠れていたが、今度こそ誰もいない。この人たちは自分がやりたいからやるだけなんだ。裏通りは観光客用の宿もなく寝静まっている。

何百年の歴史がある「おわら」は内容も少しづつ変わってきた。だんだん宗教色が強くなっていると何かで読んだ。裏通りの町流しは死者へ向けられているように感じた。町流しにくっついて歩きながら、最近忘れられがちな兄貴の供養になるかな、と考える。

翌三日も来た。午後九時に着くとすごい人出だった。昨夜と全然ちがう。深夜まで待つ時間はなく、おみやげの菓子を買ってすぐ帰った。帰りは下道で、とちゅう下呂の無料温泉に入る予定だったが、不覚にも高山で四時間仮眠してしまい高速に頼る。