日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

農道にて

まな板

昼に仕事が終わって、すこし昼寝したあと友人の結婚式の二次会へ出かけた。

楽しい会だった。二次会は、とくに会が始まるまでは気まずいもので、好きになれない。そもそも大人数で誰かを祝うことはできない。祝うのは一対一がいいと思う。一対一のつもりで会場へいっても、新郎新婦は忙しいから「祝えない時間」は暇で、身内で時間をつぶしている。ビンゴなんか時間のムダだといつも思う。けど、やったらけっこう楽しい。

大勢で祝うには「祭り」スタイルが合ってる。祭りの目的は、収穫を祝ったり神に物をあげて感謝を示すことだけど、それは口実というか共同体のよくできたしくみで、結局は参加者ひとりひとりが楽しみ、平凡に食って寝て生きている自分に感謝している。間接的に自分を祝う。今日は、集まった見知らぬ人たちと良い友人を持ったことを祝い、たまたま今夜仕事がなくて運転手つきで酒が飲めることを感謝すればいい。

大工だという新郎の友人に声をかけ、ビンゴの景品である彼の作ったマナ板を誉める。それで最初のきまずいところを突破した。

アイマス

今日までの一週間は過酷勤務で26時間勤務の当直が三回あった。年に一回もないハズレを引いたわけで、それはいいけど疲れた。二次会に出発するまで2時間あったので仮眠する。熱めの風呂に入って水をかぶって、ハンズで買った足指にはさむ健康器具とアイマスクを付けて横になる。
ぼくの場合、血液の回転を早くして目だけ休めれば短時間で元気になる。

それで、疲れてはいたけど頭ははっきりしていて、よくしゃべりよく飲んだ。酒もよく回り楽しかった。

気がつくとアパートの階段の踊り場で寝ていた。両足は階段に下りていた。なんで自分の部屋の1メートル手前で力尽きたのか。部屋に入ったら暑くてたまらず、涼みに出たんだろう。着いたのが11時すぎで、今は1時40分。二階の人はみな僕を踏み越えなければならないが、それで二時間以上気づかないってすごい。すごい迷惑。

農道にて

鉄板の上に寝ていてあちこち痛く、頭も冴えて寝られそうにない。深夜の散歩に出る。往復約4キロ、近所の車通りのない農道を伝っていくルート。途中から裸足になる。サンダルを手に持って、誰もいない道を歩く。夜の散歩には農道がいい。車は来ないし、人もいない。農作業のごみくらいしか落ちてないから裸足でも歩ける。田んぼや畑の中を歩くのは広々してて気分いい。

左側が暗い林で、道との間に芝生が作ってある。芝生も暗い。今は午前2時だ。右側は見わたす限り田んぼで人家はない。

暗い芝生にオレンジに光るものがある。メガネかけてないので分からない。揺れている光は火かもしれないが、炎は出ていない。光を確かめるため芝生に入ると急に気配が変わる。怖くなる。こんな時間にここにあってはならない種類の光だ。慣れ親しんだ環境の一部につじつまが合わなくなると、他の物も狂ってくる。奥に並んだ背の低い木が人影に見えてくる。人の管理を離れた火には強い力があるし、意志すら持っているように感じる。

野焼きのために積まれた一抱えの芝は、ほとんど燃え尽きて黒いかたまりになっている。中でオレンジ色の炭火が燃え残っていた。酸欠で炎はなく静かにくすぶっているが、人が感じない程度の風向きの変化で時おりボゥという音とオレンジの炎が上がる。小さな野火は周囲の草木、石や風などの無生物にも命を吹き込んでいる。草木にはもともと命があるが、人の力が及ばないその場所では、草一本が生々しく迫ってくる。

ハズレを引かなかった人たちは沖縄旅行に行って楽しんでいた。小さな火の体験はつまらない旅行より新しい世界を見せてくれた。またこういうことがあるだろう。でも、これをどう生かせばいいのか、いつも困る。なので書いてみた。