日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

ナムプラー、または「カメの水槽」

甘いものが好き。

お断り:午前2時に目が覚めて勢いで書いたせいか、自分で読み直してもイライラする部分があります(とくに煮干関係)。

お菓子関係には節操のない人間で、袋を開けたらカラになるまで食べ続ける。サイズに関わらず。「東京たまご・12個詰め」でも「キットカット・お徳用パック」でも、血糖値と共に気分もハイになり、さいごは包み紙に埋もれて自己嫌悪に陥る。

ここ1週間のうちに、悪い習慣を断つきっかけに幾つか出会った。
1・漠然と、頭が悪くなっている気がする。糖分、とくに菓子に入ってる砂糖を採りすぎると脳に悪いらしい。ゆっくりアホになるので、気づかなかった。
2・爪が変形していた。夜中腹痛で目が覚め、便器に座りながら手を見ると変になっている。

この爪になると、肺がんや心臓疾患の疑いあり。
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爪の変形はとても怖いことらしい。僕の形は悪性じゃなさそうで良かった。栄養失調だったんだろうか。爪は一日0.1ミリ伸びるらしいから、計算すると一月ほど前だ。何やってたのか。そろそろ食生活を見直せ、という警告に思える。
3・人からもらったプラスチック並みに硬いチーズをガリガリ砕いていると、「糖分摂取ハイ」とは違う爽快感が得られた。菓子好きは「口さびしい」のが大きな原因だと思うし、甘いもので得られるものは、他のもので代用できるのではないか。
4・そういえば、アジア系の知り合いが、お茶請けにヒマワリの種や何かの雑穀を食べているのをよく見かけた。しゃべりながら際限もなくパリパリパリパリ食べ続ける。これってすごく理にかなってるのでは?栄養あるし、一度にたくさん食べられないし(まとめて食べると味わいが失せる、または、ヒマワリの種のように殻を外すスキルが必要)、アゴを動かし続けるので脳を刺激してアイデアが湧く。

煮干を賛美してみる

簡単に手に入って、栄養あって、噛み応えのあるもの。大豆を煎ったもの、昆布、硬めのオジャコなど試してみる。気に入ったのは「煮干」だ。僕の味覚システムのなかでは、どうやらチョコと同じところに入っているらしい。モニターを何時間も眺めていて、チョコ食いたい欲が押し寄せてきたときに冷凍庫の特大煮干を一匹口に入れる。頭部と下半身に分けても、多彩な味わいが楽しめる。たっぷり5、6分ひたすらかみ続けると、それだけでチョコ一箱分の欲求が消えている。

煮干の魅力は「4次元の味」を持っていることだ。頭の香ばしさ、身のうまみ、そして内臓の苦味。これで(強引に)3次元。さらに身はもともとダシを取るためのものだから、時間をかけてじっくり味が出る。最初に香ばしさ、次に苦味、ガリガリと強い歯ごたえの中から「一番だし」の甘さがあらわれる。クラシックの組曲のように、荒々しい出だしから不意に優雅なメロディが流れ、例えるなら・・クラシック知らないんで例えられません。。「2番だし」のころには身がほぐれて柔らかくなり、母親が作ってくれた素朴な料理を思い出す。飲み込んで終わりにしたくない時間、食事というより「人生」の一番小さな単位と言っていい。どんな天才シェフでもこんな料理を作れるだろうか?

栄養学的には体に入れば一緒。だけど、生き物を丸ごと一匹食うという行為にはそれ以上の何かがあるんだ。食べるという行為は、生き物の命を自分に取り込むことだ。それが無数の生き物たちのなかを受け継がれているから、自然は美しく、それこそ自分が今ここに在る理由なんだ。

煮干を口に入れる。身を引きちぎるには犬歯がいい。骨をかみ砕くにはその少し奥の歯を使う。さいごに門歯がすりつぶす。ぼくらの体がそうなっているのは「味わう」ためじゃなく消化するため、命を残さず自分のものにするためだ。ちっぽけな自分が大きな生命の連鎖を構成していることを、煮干が教えてくれる。貧乏で食えないから言うんじゃなくて「やっぱりマグロはトロですな」と不完全な一部分だけ切り出して満足したり、「柔らかくて、口に入れたら溶けちゃった」なんて不自然な「命の交換」に価値をおく文化はきっと廃れる。煮干を見直そう。

「くさや」が届いた

煮干が気に入ったので、魚の伝統的加工食品の代表的なものを試してみようと思った。まずは「くさやの干物」から。強烈なニオイの噂ばかりで食べたことがない。酒に合うし、なれると癖になるそうだ。(しつこいけど、煮干は焼酎とか酒にもすごく合う!)

新島くさや瓶詰、くさや干物専門店

想像していたニオイとはちがって、よく言えばタイ料理のナムプラー、でも近いのは「ミドリガメの水槽」のニオイだ。明日にでも焼いてみようと思います。