日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

山谷の宿(サンヤノドヤ)・後編

あかぎ荘

あかぎ荘

朝見つけた「限りなく廃墟に近い旅館」に泊まってみたかったが、この日はかなり冷え込み疲れてもいたので、駅に近い「あかぎ荘」にした。ここは一番良い部屋で1500円と安く、入り口からのぞくと奥まで様子が分かり、初めて泊まるドヤ(ヤドと呼べないシロモノという隠語らしいです)に良さそう。各旅館の料金設定には何となく基準があるようだ。2層に改築された典型的なドヤの部屋の広さは2畳くらいで料金は1000円台、「普通の造り」の旅館なら2畳2000円、3畳3000円になる。TVが付くか暖房があるかどうかでグレードが一つ上がるようだ。

「あかぎ荘」の料金は900、1300、1400、1500円の4種類ある。一番安いのは大部屋のベッドらしいけど、初めてにはハードすぎる。前払いして2階に案内される。客室部分だけが2層になっていて、その「中2階」ということだ。中2階だと100円安い1400円の部屋になる。急な階段を登るとちょうど僕の身長でギリギリの高さの天井(175センチくらい)で、換気扇の音がうるさい。客には会わなかったが、客室前の廊下に脱いだスリッパが並んでいて、ほとんど部屋は埋まっているようだった。部屋を見て食事に出ることを伝える。キーは無いそうで、出かけるときは開けっ放し。ぜったいに貴重品を部屋に置かないように、と何度も念をおされた。

最近のドヤが意外にきれいだということは参考図書を読んで知っていた。どんなに安いといったって、朝から晩まで肉体労働して疲れきって帰る場所だ。広くて清潔な風呂としっかり休める寝場所がある。それにやっぱり日雇い労働者の数が減っていて、ちゃんとしたサービスが無いと客を集められないみたいだ。ドヤ街の通りには看板だけでシャッターの閉まった飲食店がそこら中にある。薄暗い商店街は、屋根つきの自転車置き場か、路上生活のための巨大テントと化していた。

千円払って「サービス」と言えるものを受けられるとは思ってなかったのに、あかぎ荘の主人の言葉は、いちいち優しかった。「初めてですか、まず部屋を見てから決めてください。貴重品は受付で預かるので言ってください。トイレ行くときは必ずサイフなどは身につけて、たまに『そういう人』がいますから。タオルがない?なら受付で貸しますから後で来てください。風呂は10時まで、11時ぐらいに電気が消えます。門限はありません、出入りは24時間自由です」受付の2人はどちらも70過ぎのじいさんだけど、僕らのような貧乏旅行者を狙った新しい経営にチャレンジしていることが伝わってくる。最近はカプセルホテルも高いから需要はあると思う。ただ、消灯があることと、いろんな養分を吸ってしっとりした得体の知れない布団、だけがネックかな。

大衆食堂・きぬ川

ドヤに泊まるような人は何を食べてるんだろう。近くに安い食堂でもあるんじゃないかと思って探しにいった。大阪の串カツのような安くておいしい店が見つかるといい。

一軒目の喫茶店は定食も出すようだけど、ドアに「フリーのかたお断り」という札がかかっていて、何となく自分のことかと思って通りすぎた。フリーとは宿無しのことか。二軒目は食堂兼居酒屋で、正直いうと中のにぎやかな話し声に怖気づいて、次を探すことにした。疲れてたしね。三軒目の「大衆食堂・きぬ川」に入ることにする。

小さめの4人掛けテーブルを4つ置いていっぱいになる広さ。席はほぼ埋まっていて、引き戸を開けると全員がいっせいに僕らを見た。「二人、いいですか?」フロア担当のおばさんは珍しい客にとまどってるようだったけど、先客に声をかけて相席にしてもらった。向かいの男の前には焼き魚の定食と瓶ビールが並んでいて、僕らに目を向けることもせず黙々と食べている。となりのテーブルから仲間同士しゃべる声が時々聞こえるけど、TVの小さめのボリュームに紛れるくらいの静かな店内だった。

同じ並びにモツの店があって、そこは閉まっていたが、大阪が串カツなら山谷はモツなのかもしれない。モツは壁のメニューには見つからない、というよりこのメニューは不十分だ。ライス180円と豚汁180円とお新香100円、と何か(忘れた)しかないぞ。店のおばさんが気づいて、棚から好きなオカズを取れという。厨房の前の棚に並ぶのは、焼き鮭、アジとサンマの日干し、さばの煮付けなど。お新香は各種惣菜のことで、おろしジャコ、ひじき、キムチ、ポテトサラダ、煮豆など種類も多い。選んだオカズをおばさんが厨房に回すと、ライスと汁がついて出てくる。

頼んでいないのに大盛りの豚汁が付いてきた。ご飯も多めな気がする。僕らが知らないから高めのメニューを持ってきたんじゃないか。前のおっさんは、勘定で千いくら払って出て行った。ドヤ街だからといって安わけじゃないらしい。味は素朴で体に良さそう。「大寒」の冷え込みに(頼んでない)豚汁はうれしかった。山谷の「ソウルフード」は豚汁かもしれない。具だくさんで、汁の水面上に具の山ができてたもんな。

忙しそうに動き回るおばさんはニコニコして愛想は良いけど、常連客にも必要以上に話しかけない。さまざまな事情を持って山谷に来る人々に対しての「そばにいながらも近づきすぎない」微妙な距離感を感じた。

勘定を頼むと、あれだけ食べて510円と安い。メニューを見て計算すると焼き魚一匹50円になる。大きな切り身の魚だったのにひじきの小鉢より安い。きぬ川の主力商品は魚で、マックのチーズバーガーのように安売りするかわりにサイドメニュー(ライス、豚汁)で利益をあげるんだろうか。ともあれ、少しおばさんを疑ったことを謝ります。出した五千円札の釣りがなかなか返ってこない。「(厨房のダンナさんに)あんた千円札持ってない?たしかジャンパーのポケットに入ってなかった?」天気予報だと明日は朝から雪らしい。雪が心配だ、という話をおばさんとして店を出た。連れの男が「実家とおなじ味付けだった」と複雑な顔をしていた。なかなか良いコメントだと思う。山谷は、アングラな異空間でありつつ、小さなパーツは懐かしい手触りを持っている。複雑な表情の理由を聞いたけど忘れた。

宿への帰りにコンビニに寄ると店内で酔っ払いが叫んでいた。動物が吠えるような声でかなり驚いたけど、店員は視線も向けずレジを打っている。コンビニ店員ってクールだな、どこでも。

ドヤ街の雪

フスマに毛が生えたような壁はあるが、一つの窓をとなりと共有しているので、となりの音がはっきりと聞こえる。となりはどうも肺を病んでいるらしく、発作的に咳き込みがはじまると今にも吐きそうな苦しげな音が聞こえた。風呂は4人がゆったり入れる広い湯船でかなり熱め。廊下で、鍋を持っている人とすれ違った。余裕がある人は「きぬ川」へ行き、ない人は自炊するんだろう。似た話で、参考図書によれば、余裕がある時はドヤに泊まり、ない時は路上で寝るんだそうだ。ホームレスといっても公園に家建てて住む人は一部で「非常勤」も多い。トイレに行こうと廊下の端の小さなドアを開けると、そこも客室で、頭までかぶった布団から住人の両足が見えた。ロープを張って作業着やタオルなんかを干している。荷物が多いので長期滞在なんだろう。9時に電気が消え、早すぎる消灯だと思っていると「電熱器を使わないで下さい」と放送が流れた。ブレーカーが落ちたらしい。

朝がた雪が降りはじめ、積もらないという予報は外れて道路もいちめん白くなっていた。宿を出て福祉センターのほうを振り返ると、2,3人が歩いていく後ろ姿が見えた。いったい路上の人はどうなっているのか、と思いながらも気持ちは、早く暖かい電車に乗りこみたくて、視線を向けながらも足は南千住駅へ急ぐ。冬に来れてよかった。夏の野宿はだれでもできるけど、冬の寒さは厳しすぎる。ハローワークのセリの小休止に知り合い同士で冗談を言って盛り上がったり、ほかにも思ったより笑顔を見たけど、ここの暮らしのベースにあるのは今見てる冬の厳しさだと思う。一枚だけ雪の写真を撮らしてもらおうとカメラを探したらバッグの底に入れてしまっていて諦めた。

「お待ちしています」

気がかりなことがひとつある。優しい宿の主人が、優しさなんだろうけど、出発するときやたらと僕を引きとめようとした。「もっと泊まっていったらいいのに」「次にまた来てくださいね」「お待ちしていますので」嬉しいんだけど、すなおに受け止められない。長く山谷で暮らした経験から、他の住人と同じニオイを僕にかぎとったんだろうか。

「お待ちしています」

こわい。終わり。