日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

山谷の宿(サンヤノドヤ)・前編

南千住駅の歩道橋をこえると

朝五時すぎに東京駅に着いて、そのまま「労働者の町」山谷地区へ向かった。田舎モノが、まだ暗く人気のないキップ売り場で路線図を見上げ「南千住」への乗換えを何度も確かめた。

南千住駅を出てから、JRの高架をくぐるトンネルを抜け、広い操車場をまたぐ歩道橋を渡らないとならない。というか、その道しか知らない。歩道橋を越えると空気が変わる。2度往復したけど、いつも違和感があった。時間か次元のミゾがあって、橋が別の世界をつないでる。その先が山谷(サンヤ)地区。時代は戦後まもない昭和、家を焼け出された(?)人々が路上に暮らし、一泊千円の宿があり、通りにヤミ市が建つ。

山谷という地名はなく、「労働者のための簡易宿泊施設が集まる地域」という概念をさしているだけだ。(参考:http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/sanya/sanyatosanyataisakunoenkaku.html) 地図にない「地名」は、「(スタートレック的に)歩道橋=異次元を結ぶワームホール」という妄想を加速してくれる。けっきょく、その道しか知らないからなんだけど。浅草から歩いて行けます。

トンネルの壁の、しゃがんで書く高さに「山谷の警察には暴力団が座っています」と目立たない落書きがあった。歩道橋のたもとのタバコ屋「五月商店」では、軍手や足袋(タビ)、マスクなどの作業用品がタバコに劣らず揃っていた。

泪橋交差点がもう一つの「結界」になっている。冬の朝六時は暗く、その暗い歩道に意外なほど多くの人影がある。交差点の何ヶ所か、信号待ちじゃないところに5、6人が固まって立っているのは奇妙な眺めだ。たぶん「手配師」なるものがトラックで来て、現場へ彼らを連れ去るんだろう。山谷行きを決めた数日前に「手配師の車に乗って旅費を稼ごう」と半分本気で言って、同行の友人の大ヒンシュクを買っていた。(そんな簡単ではないようです)

参考図書:基本的に僕らはジャマな野次馬ですが、少しは予習して節度ある野次馬になりたいと思ってます。

amazon:無縁声声
大阪のドヤ街に住みながら、労働者の視点から現代史を編みなおす「研究者」平井さん。10年前に読んで衝撃をうけた。社会のしくみが全部わかった気がしたが、10年後の自分を見れば錯覚だったみたいだ。

amazon:だから山谷はやめられねぇ―「僕」が日雇い労働者だった180日
最近の新刊。山谷に行く前に下調べのつもりで立ち読み。良い本だけど読まなければよかった。実際受けた印象がみんな本の中で説明されているのと同じなので感動が薄れる。手配師に釣られるとどうなるか読めば分かります。

労働者福祉センター

道幅が広く碁盤目状の、よくある住宅街に見える。人は、たまに作業着姿の男とすれちがうだけ。方向は合っているのか、何も見ずに帰るのはイヤだな。唯一明かりが付いていたのはコインロッカーを並べただけの店だった。路上生活者が利用するんだろう。角を曲がると男が家の塀に小便していた。人が増え、急ににぎやかになった。「山谷福祉センター」の前には20人くらいがいた。開くのを待つ人がさらに20人ほど玄関近くに立っている。知り合いに話しかける声も聞こえるけど、基本的にひとりづつバラバラに立って何か待っているようだ。

角に「Welcome!」の看板。日雇い労働者が減ったかわりに外国人旅行者を受け入れて繁盛している旅館の話をTVで見たな。向陽荘?という名前で料金は3千円前後だった。この辺りは通りに面した建物のほとんどが宿屋だ。2階建ての高さなのに窓の数が多すぎるのは、一階部分を新しい床を足して2層にしているからだろう。

福祉センターの人だかりが気になったので引き返す。どんどん人が集まってきている。僕らのような興味本位の野次馬は歓迎されないだろうし、ちょっと勇気が要った。「宿を出て駅に向かう旅行者」という設定にして、そそくさと、さりげなく観察もしながら通りぬける。センター前の旅館に「福祉サポーターのかた歓迎」という張り紙(サポーターだっけ?ボランティアか)。人だかりの理由は分からず、当然聞けず。ボランティアによる炊き出しがあるのかな。

僕らが向かう方向から人が集まってくる。人は、どう書いても偏見が入りそうで書きにくいけど、年寄りが多く、顔はススけていて、汚れた灰色っぽい服を着ている。だから全体的にグレーな印象、町も。書きにくいのは、ここではそれが自然で見慣れてるからで、むしろ僕らのほうが目立ってて「変なモノ」だ。

道路に布団が敷いてある。持ち主は立ちションの最中。ドラム缶を並べて焚き火をしていたようだ。まだくすぶっている。ダンボールハウスを畳んでコンパクトにした「家キット」も置かれていた。参考図書によると朝5時くらいから仕事に出るらしく、ハウスの住人はもう出勤したんだろう。遅い出勤の人はまだ寝ている。ダンボールの上に毛布にくるまって小さくなっている人、堂々と敷布団をしいて寝る人、そして・・ダンボール一枚にそのまま横になって死んで・・寝てる?!

ここにいる人々がどんな暮らしなのか本から知識としては知ってたけど、最低気温1℃の中ジャンパー一枚着て寝なきゃならない状況って何なんだ。日記を書きながら、これまでのように傍観者じゃダメだな、と思うのだけど、正直を言えば「すごい、人間鍛えれば何でもできる」などとその瞬間考えていた。(やっさんに借りた登山家の小説のせいだと思う『amazon:孤高の人』)

商店街があって食堂がいくつか開いていた。店じゃないところは自転車がぎっしり並んでいる。山谷の生活に自転車は欠かせないようだ。でも自転車で走ってる日雇い労働者風の人って見かけないよね。いざというとき金に換える不動産みたいなものかと想像した。商店街の入り口で、一人のおっさんが叫んでいる。

「みなさん、明日は土曜日で、競馬が、あります!」

山谷フリーマーケット

コンビニで地図を確かめると近くにハローワークがある。途中に公園があるから路上生活の様子が見られるかもしれない。コンビニのある大通りに出るとドヤ街の雰囲気は無い。(ゐ君がコメントしたバッハという喫茶店もここにあった)ただ居酒屋の玄関が鉄格子で囲われていた。

ふたたび裏通りに入るとツタのからまった廃墟ビルが目に入った。ツタや雑草で覆われたビルを過ぎようとして目を向けると灯りがついている。看板には「宿泊1100円、TV付き」とあって、現役の旅館だった。

公園の横の車道にシートを敷いて物を売っている。人はまばらだったが品揃えは豊富で、ズボン洋服、ラジオ、電池、ドライバーなど工具類、電気ドリル、チェーンソー、靴、ヘルメット、なぜか電気ポットなどなどを売るのが一軒目。次の店は衣類専門で、ズボン5着セットで1500円、ジャンパー1000円、古着のトレーナー等300円なり。大きな古いデジカメとPentaxの一眼レフも置いてあった。Pentaxは15000円で安いのかどうか知らないけど、手に取ってみると「・・カメラは・・もうちょい安くするよ」と店主のじいさんがボソッと言う。「Pentax好きな知り合いがいます。軽いし良いですね」とほめてみると、うつむいたまま「・・イチ万円」に下がった。向かいがエロ関係で、コピーVHSにDVDと、これもアイドルからマニア向けまで充実したラインナップだが、中国系の店主がエグいのばかりをすすめるのに閉口した。「コレは、日本人の男と、インド人の少女で・・モザイクなしよ」

角を曲がっても店は続いていた。活気がある。店主も含めて2,30人は集まったんじゃないか。「もうすぐ閉めるところだったよ」という声が聞こえて時間を見ると午前7時だった。早朝の数時間、公園のまわり200メートルくらいが出勤前の労働者のためのフリーマーケットになる。人にとって最低限必要なものが揃っている、と思うとそうでもない。布団一式1500円、インスタントラーメン1袋100円、ばら売りのフリカケ(値段不明)、ばら売りの味海苔、腕時計、時計のベルト、ラジオ、モーニング娘のCD、「タイタニック」のビデオ、そしてエロ、エロ、エロ。参考図書によれば、山谷の暮らしには刺激がとぼしく、酒やギャンブルでそれを紛らす人が多い。そんな状況で見る映画の楽しみは格別なんだろうな。突然、耳元で「おはようございます!」と声をかけられ振り向くと、背の高いおっさんが笑顔で僕を見ていた。「あ、おはようございます」と返事して、たぶん誰にでも挨拶する気の良い人なんだろうけど、振り切って逃げてしまった。

ハローワーク

公園を抜けると一階が保育園になっているアパートがある。道をはさんで隣の郵便局の敷地を仕切ってある高い塀はびっしりと落書きされている。保育園の子供たちが約100メートルの壁をのびのび自由に汚していた。山谷と聞いて抱くイメージと違って明るく楽しげな絵だった。デジカメはずっとポケットに入っていたけど、一枚でも撮ると、自分は「外から中を覗く」立場になって受け入れてもらえない気がした。少なくとも今日はここで泊まる予定だから、山谷に流れついて山谷に頼って生きる人たちと同じ側にいるつもりだ。と言いつつも、この「壁画」は撮ればよかったと、今は後悔してる。

ハローワーク付近は騒然としていた。駅のように扉や壁のない一階部分に詰めかける男たちが、100人はいたか、ラッシュアワーのホームのように息苦しそうに自分の順番を待っている。「次は、2300番までのかた!いらっしゃいますか!」前方のカウンターの中で職員が大声を上げている。すべての視線は前を向いている間にコソコソと後ろに入り込む。区の公共事業を登録した人に斡旋しているようだけど、システムがよく分からない。募集枠が埋まると鈴が鳴り、カウンターの柵が開いてゾロゾロと奥へ入っていく。魚市場のセリのようだった。みな黙って前を見つめている。うるさいのは外の「活動家」のデモで、5,6人がビラを配りながら拡声器で声を上げている。アメリカ的な資本主義反対、イラク戦争反対など。

その活動家の一人が近づいてきて話しかけた。「失礼ですが、どちらからですか?大阪の方ですか?」「学生の方ですか?」いや旅行で来てるんです。「ああ、いや、ここじゃ珍しい人だな、と思ってね」なんだろう。関西の活動家の視察だと思われたのか。

隅田川

隅田川までしばらく歩く。朝日で白く輝く川がいつもよりキレイに見えた。