日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

さよならエース(2)エースとの日々

窓がない

スペアタイヤといっても普通と同じタイヤを載せている。弱ってきているとはいえ、東京から下道で箱根の峠を越えて帰ってきた。まだ走れる。

さっそく車検の見積もりを出してもらう。1年前の車検でずいぶん直したけど、タイヤは前後すべて替える必要があるかもしれない。しかし、金額は予想をかなりオーバーしていた。前回パスしていた項目が「要交換」になっている。法律が変わったんだそうだ。また法律が邪魔をする。

まずヒビの入ったウインカーカバーがだめ。以前はテープで留めていれば通った。そして、後部座席の窓が無いのがだめ。「そりゃ駄目だろう」と突っ込まれそうだけど、貨物車なので例外的にOKだった。昔は。プラスチックの覆いを付けていたけど、東京帰りに風で吹き飛んでしまった。雨が入って畳が腐りかけている。完全に窓が無くなってスカスカだと、「前は良かったのに」などと申し開きする気力が萎えてしまう。

この窓は自分で割った。半年前に東京での用事の帰りに静岡の1号線のバイパスで車を停めて仮眠していた。朝起きて用を足しに外に出る。寝ぼけていて、スライドドアが閉まる音で目が覚めた。と同時にキーを閉じ込めたことに気がつく。ドキドキしながらも、とりあえず木陰で用を足す。JAFを呼ぶ手間と時間と費用を考えると、修理代のほうが安いかも。おしっこ中にも、目は林の中に手ごろな「鈍器」を探していた。

後ろの大型トラックの運転席が見下ろすようにこちらを向いている。スモークの中から視線を感じる。さっき少し♂らしいことを考えたフリーターは「1度だけ」と言い聞かせて、ドアの半ロックを探してバンを一周する。表情に出さないようにドアハンドルをガシガシ必死なのが見えただろうか。屈辱だ。もう一周する。見てるんなら助けてくれよ。エンジン回ってても寝ていて見ていないのかも知れない。それでもなお、大型トラックがぼくを見ている。次のアクションを待っている。

費用と時間をつかって車を守るのか。あくまで車を「生活の質を上げる」道具として扱い、一部を破壊しても使い続けるのか。「普通でない判断」を見た人に説明できるのか。窓なしで走って捕まらないか。なにより、この車が好きだった。それで、なぜ壊そうとする。道具は大切に使われるべきだが、傷ひとつなく大事にしまわれていては道具を使ったことにならない。道具としての車の目的は、速く快適に行きたい所へ送り届けること。まず道具としてちゃんと扱い、その先、最後に寿命が来るまで大事に使い続けること。責任はとるよエースくん。こぶし大の石を拾った。

その道具の王者、大型トレーラーのごついヘッドライトが見つめる。おまえは自分の道具をどうするつもりだ。ぶっ壊します。トレーラーに確認をしてから石を振り下ろした。硬い車体ガラスに白いひっかき傷が付くだけだ。もう引くに引けない。ハンターの遺伝子が目覚めるようだ。見つかる前に窓を破壊してキーを奪いとれ。一歩下がって腕を振りかぶり思い切り窓へ投げた。バンの大きなガラスが無数のヒビで白くなる。足下の枝をつかみ残ったガラス面に突きさす。何度も繰り返し突き刺し、安全にドアロックに届くぐらいの隙間をつくる。息が荒い。

ドアが開くと中の木材で破片を掻き出す。手慣れた一連の動きに自分でもおどろいた。運転席への柵を乗り越えキーをさす。逃げるように現場を離れた。

エースとの日々

このライトエースは、冗談でも大げさでもなく「住む」ために買った。車を買った当時は、若かったし、今より大分頭がおかしかったので、そのころの考えを説明するのは難しいし、自分でも共感できなくなっている。

ぜんぜん大学に行ってなかった。「通学」という行為がとにかく嫌いでできない。
敷地内に住めば、通学という概念は自分の生活から消すことができる。住む場所は教室から近ければ近いほどいい。だけど「学校イコール家」では耐えられない。正確に言えば、「通学」のうち、「学校に行く」のはダメだけど「学校から家に帰る」開放感は欲しいし、必要なんだ。なら、時々家が移動すればいい。学校にまつわるものから距離をおいて一人になりたいときは、矢作川のほとりの駐車場が、または豊田の夜景を見下ろす猿投山の林道が家になる。

住んでいるアパートを引き払って、レンタル倉庫に家財道具をしまい、車に住む計画だった。「時々移動」というのがポイントで、車の「走る」機能は「車に住む」ことの次の次くらいだった。バカだと思う。ディーゼル車を買えば、軽油を使えるストーブと共用できる、などと真剣に考えていた。

免許は取ったけど、車は好きじゃなかった。自転車が理想の乗り物だと思っていて、エンジンを積んだ乗り物を一段低く見ていた。空気を汚すし、うるさいし、走るだけでガス代がかかる。中の人は外から見えにくいし、エンジンの大きなパワーをコントロールできることで、人間性も悪くなる気がする。

ヤフオクで大阪の業者から車を買ったあと、住めるように改造して、実際生活できるか確かめるために3週間旅に出た。9月に学校が始まって、さっそく大学そばの池に車を停めて泊まった。陽の光に照らされた朝霧の中で目を覚ます、なんて初日の景気付けにいいと思って。

しかし、車生活は一日で終わる。9月末なのに寒くてほとんど寝られなかった。朝露で布団はビショビショになった。倉庫がわりに借りた安い寮の住み心地が良すぎた。研究室にも、寮より快適に、住めることが分かった。

簡単に放棄した自分が許せず、暖房器具を持ち込んで再トライしたことがある。今考えると恐ろしさに動悸がしてくるほどだが、暖房器具とは「七輪と練炭」という自殺の王道だった。物証も動機も十分すぎる。死ななくて良かった。強烈な悪臭と暖房効果の無さに、30分もせずに逃げ出した。

死んでいたら、ぼくがその直前、かつてないほど前向きな精神状態だったと、誰か分かってくれただろうか。