日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

『高熱隧道 』

高熱隧道 (新潮文庫)

高熱隧道 (新潮文庫)

黒四ダムに向かう扇沢駅売店にて購入。
映画化された「黒部の太陽」の文庫本もあり一冊を選ぶのに悩んだが、表紙が気に入って本書にした。坑道口を背にした男の影が陽炎のように揺らいでいる。小さく赤4文字のタイトルに無言の迫力を感じた。ダム開発には事故による犠牲者がつきもので、多額の見舞金が予算に組まれるほどらしい。・・というネットで仕入れた予備知識からすると、重苦しい表紙絵にはリアリティがある。

僕はあまり小説を読まないし、「食べて無くならない土産」ぐらいに考えて内容に期待しなかった。数ページめくってタイトルの読みが「ズイ道」だと分かり、古いトンネルに書かれた謎の文字についての長年の疑問が解けた。これで土産以上の役目を果たしていたが、読むのを止められない。面白い。

プロジェクトXで有名な黒四ダムの20年前、その下流に作られた黒部第三発電所でのトンネル工事において超高温の温泉地帯にぶつかった。当時のトンネル工事の手順は、岩にダイナマイトを差して発破しスコップでガレキをかきだす。最高165度というトンネル先端部で削岩機を持つのは生身の人間だ。乾燥したサウナでじっと座っているのとは違う。100度近い水蒸気の立ちこめる抗内での作業は一回20分に制限されたが、外に出るなり倒れ意識が戻らない者もいた。

そもそも当時1930年代の日本には「凶悪」ともいえる黒部の自然にまともに立ち向かう技術は無かった。ちょっとエラソーだが、それはそうだ。プロジェクトXで活躍したヘリもブルドーザーも出てこない。強力たちが、黒部峡谷の崖や吊橋をつたって物資を運ぶしかない。彼らが背負うダイナマイトが唯一自然に対抗できる力だったが、それも異常な高温にさらされて自然発火を起こし多数の犠牲者を出すことになる。

最後まで、トンネル先端の極限状況で作業を続けた人夫たちの気持ちは分からなかった(他の人々も分からんけど)。同僚たちが次々と犠牲になり、原型をとどめないような無惨な姿を見る。しかし、死が日常である彼らは、立ち止まることなく仕事に向かう。体が熱に順応し、彼ら以外では先端部に何分もいられない。彼らを動かすのは狂気か。彼らだけじゃない。この話には様々な立場の人々の異なるレベルの狂気に満ちている。その先頭で、トンネルの先端で、人夫たちが狂気にすりつぶされてゆく。

計画全体を通して4年間で300人以上が死んだ。誰も止めることができなかった。日中戦争が始まるころで、現場にも招集令状が届けられたそうだ。僕にはその時代の雰囲気がイメージできないけど、普通の人の価値観や倫理観を狂わせる強い力が働いていたんだと想像する。

トンネルを掘れなければ、巨額の資金をつぎこんだ計画全体が無くなってしまう。仕事を渋る人夫や強力の前に金が積まれた。発注元の電力会社は中止命令を恐れ苛酷な労働環境を隠した。日本全部がおかしくなっていたわけじゃない、「ホウ雪崩(これがとんでもない)」が宿舎を吹き飛ばして150名が死んだ時は、さすがに行政の厳しい調査をうけ中止命令寸前まで行った。しかし、もっと大きな力がそれも押し流してしまう。

ラストは表紙の印象のまま、息がつまるような重苦しさを残す。登場人物の誰も救われることがない。発電所は関西地区の住民や工場に恩恵をもたらした。でも均質な電流は関わった人間の痕跡を伝えない。彼らのことは記憶に残らない。憎しみや欲望など一番人間臭い感情がぶつかるところから、無機質で透明な電流が生み出される。こういう対称は普段気づかないだけで世の中にたくさんあるんだろうな(インフラ関係なんか)。

あとがきで執筆の動機に触れています。『(略)その時の印象を活字にしたいと願い(略)』思いっきり省略したけど、ぜひ実際読んでみて下さい。確かに印象が活字になってます。200ページがひたすら「その時の印象」を言い尽くすために精密に組み立てられているように感じて、改めて作家の底力を思い知りました。

なぜか印象に残っている爆発事故後の発破作業再開のシーン『(略)その人夫頭の顔に眼をとめた時、新たな戦慄が藤平の全身をつらぬいた。熱気で充血したように赤らんでいる人夫頭の顔はこわばり、全く別人のように変貌してみえた。(略)』現場に居合わせたかのようなリアリティに思わず「なんでアンタ分かるんや!」と関西弁でつぶやきました。