日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

『鋼製ゲート百選』

「鋼製ゲート」とは要するに「水門」のことだ。正確には「開閉して水流を調節する装置」のことで、部品としてダムに組み込まれたり、堤防に埋まっていたりして外には見えないことも多い。

黒四ダム見物に行くことになり、ただ行くだけだともったいないから、ダムについて予習しようと図書館の「河川工事コーナー」で手当たり次第に借りたうちの一冊だった。パラパラとページをめくると、すぐに間違いに気づいた。黒四ダムを見上げる写真が載っているが、本書で問題にされているのは黒部谷をふさいで建つダム本体、じゃなくてダムの壁面についた4つの黒い点(放水バルブ)だった。ちょっとレベルが高すぎる(マニアの)。

念のため、本書は技術書ではない。巻頭に並ぶ推薦文はどれも「技術者だけでなく広く一般の人々に読んで欲しい」という一文で締めている。素人の勘違いも許してくれると期待して、少し書いてみる。

まず「一般の人にもぜひ」という推薦のわりに、書店の棚で見かけて、これほど手に取りにくい本もない。巨大な水利施設が自然の力を休みなく受け流す姿に心を動かされる人は少なくない。ネットを探すと、ダムっ子?も水門写真家もいる。トンネルや橋の愛好家もいて、動機は似ていると思う。僕にも少し分かる。でも「鋼製ゲート」と聞いて胸躍る一般人はマレだろう。もう少し何かなかったのか。

「鋼製ゲート」の(マニア度の)難易度を高くしているのは、まず外から見えないこと、さらには「ゲート」というのは「機能の名前」という面があって、出来上がったものには素人目に脈絡がない。巨大なダムや河口堰と、海岸の堤防に付けられた校門の強化版(防潮ゲート)が同列に並んでいる。ブレーキ愛好家が、ドラム・ブレーキと逆噴射エンジンと靴底について語るような飛躍(苦しい)がある。

見えないものを想像したり、類似した形や動きから変な連想をするのは、エロの世界に近いものがあり、露骨な表現よりも深く高尚な分野だと思う。しかし「次のレベル」への階段は高く、ベースとなるダム・水門マニアが成熟していない現在は、世に出すには早すぎたんだ。ゲート技術変遷の歴史、つまり高い水圧に耐える「より良い閉まり具合」を図解つきでねっとりと語られて、疎外感を感じるのは僕だけじゃないはず。

脱線した。
もっと誰にでもイメージしやすくて外見にも美く親しみが湧くものならいいのに、と思う。「明石大橋」や「レインボーブリッジ」のように・・・作者の竹林さんは、そんな考えを見通した上で本を書いている。紳士であられる竹林さんが穏やかな口調でつづる「前書き」を超訳してみる。

橋橋橋橋、また橋か?どいつもこいつも橋ばっかり持ち上げやがって。どうせダムやゲートは日の当たらない山奥で地味に働いてるけど、土木の華はゲートなんだ。俺に言わせりゃ橋なんか見た目が派手なお子様ランチですよ?動かないで突っ立ってるだけの橋と、悪条件のなか何百トンっていう水を細かく制御してるゲートとどっちが偉い?ゲートだろ!価値の分からん君らのために何十年せっせとダムを作ってきたのは誰だ?俺だ!

本書は、社会の基盤を作ってきた人たちの声なき声をすくい上げたリベンジの叫びなのである。前書きを読んで、これまでの下らない考えが恥ずかしくなった。竹林さんの書くように、ゲートには「巨大水圧に抗し、水を制御するほか、漏水を許さないという橋梁よりもはるかに厳しい高度な技術」が必要になる。ダムや橋が美しいのは「人間と自然の力がせめぎあう最前線」で無駄のないギリギリの機能美が生まれるからだと僕は考える。その最前線の、まさに力と力がぶつかりあう一点にゲートは作られるのだ。本書を読んで何も感じないのは単に鈍いだけかもしれない。

竹林さんの筆による「ゲート五訓」というものがある。(つづく)