日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

「認知の道」(最短コース編)

歩き通学を始めたのは、大学近辺に引っ越してきた3年前から。

それまでは名鉄とバスを乗り継ぐだけで、すっかり体がなまっていた。そもそも学校に行ってなかったしね。便利な交通機関を日々使っていると、体を動かすことが罪深いことに思えてくる。僕の場合はそう。体を動かすのは楽しいことじゃない、仕方ないからやること。

間に合わないから豊田市駅までダッシュしたり、深すぎる八事駅から地上まではビルの4階分くらい階段をのぼらされる。間に合って車内に駆け込んでも、酸欠状態を無理して平静さを演じたり、八事の地上出口にたどり着いても、八事キャンパスへまだ坂は続く。あの狭い歩道を、縦スクロールみたいに敵をよけながら歩くのが苦手だった。

学校では、どんなに並んでもエレベーターを使ったし、階段しかなければ必死にインコースを攻めて、無駄に疲れた。歩きに変えたら、時刻表に煩わされなくて楽になった。自転車の期間もあったけど、スポーツタイプの自転車はなかなか気が休まらないように思い、やめた。散歩の感覚でのんびりこいでいると、とがったサドルが食いこんで痛い。乗り方がヘタなのか。歩くと、毎日新しい視界が得られた。天気によっても時間によっても違う。2キロもあるのに滅多に人とすれ違うことも無い。たまに農家の人に会えば、あいさつしてくれる。

しばらくは怠けグセが抜けず、30分ただ歩くことに耐えられなかった。大きな車道だけ選んで歩くと3キロ近い。近道を探して、いろいろなコースを試した。田んぼのあぜ道を歩いたり、愛環の高架下を通ったりした。ある時、図書館の住宅地図(101万分の1)を開いてみた。下宿と学校を直線で結ぶと、これまで通った道がずいぶん大回りしていたことが分かる。直線の長さの3分の2は、学校を囲む高さ50メートルほどの山の中を通っていた。

「毎日山を越えて通学してました」というのも新しいタイプの苦学生みたいで面白そうだ。一回かぎりでいいから、山越えて学校に行ってみよう。小さな裏山といっても、道なき山を直線で1キロ進むのは大変だ。時間に余裕のある日を選んで調査登山を行った。

方角だけ決めて歩き出すが、すぐ見失う。意外と斜面が急で尾根づたいにしか歩けない。無理かなと思いかけたとき小さな道に出た。小さくても長い間使い込まれた歩きやすい道だった。もう脱線する気は起きず、大学へ着くという期待などなく、どこでもいいから山を降りるために進んでいった。何度か道が分かれたが、「本線」は確実にひとつの方向を目指している。ひょっとして、通じているかもしれない。

だんだん興奮してスピードが上がる。森の木々の合間にキャンパスの白がのぞくほど近づいたところで、道は無くなった。あとはひたすら木の根を飛び越え斜面を滑って、森を抜けるまで走った。そこはテニスコートの裏だった。泥で汚れたクツと服のまま、授業だか試験を受け、残る帰りルートの探索へ向かった。(後日だったかも)

その「通学ルート」は、両方の入り口が荒れ果てて、外からは見えない。森の中に隠されているようだ。入り口さえ分かれば、快適でスピードも速い。しかし距離は短くても高低差があり、平地の最短ルートと時間は変わらなかった。そのかわり、従来の「通学」の概念が壊れ「レクレーション」のひとつにさえなった。10割増しで疲れることもあり、いつも利用することはできなかったが、夏の日差しをさえぎり、冬の木枯らしから守ってくれた。

その山越えルートで一度だけ人に出会ったことがある。
ヤマイモを採りに来たという近所のおじさんだった。人に会うことなど考えてもいなかったので、気が動転してしまい、どうにかあいさつだけはした。おじさんは僕のナリを見て「どうした?道に迷ったのか?どっから来た?どこへ行くんだ?」と心配してくれる。しかし、Tシャツ短パンに手さげカバンという自分をどう説明したらいいか悩んだ。

「いや、今から授業受けに行くとこです。いつも通る道なので大丈夫ですハハ」

おじさんの判定は、不審だが無害、ということのようだ。表情と、さっさと行ってしまったので分かる。

# やっさん 『10万分の1の地図で見る程でかい山なんか? 何メートルくらい?』(2005/2/4 1:34)

# あらき 『間違えた。1万分の1だ。』(2005/2/4 2:9)

# あいこ 『山芋を掘りに来たおじさんと、今から授業を受けに行こうとしている学生が山で出会うってのが凄い。 おじさんは帰ってから家族に話しても、誰にも信じてもらえなかっただろうに…。』(2005/2/4 16:46)