日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

プラネテス

ここ数日、CEさんがオススメしていたアニメ『プラネテス』を観ている。
はじめのころは、「野心にあふれ、また愛が足りない主人公に感情移入するCEさん」の気持ちになって観る、という複雑な楽しみ方をしていた。でも回数を重ね、コミュニティをのぞいてファンの話を聞いたりするうちに、地味だけど味わいのあるキャラ達が気に入ってきた。

この作品は近未来の宇宙開発を舞台にした人間ドラマだ。だから、なんの説明もなくワープしたり、空間を曲げたり、エイリアンが英語しゃべったりはしない。船外活動中にヘマをやると地球めがけて自由落下し始め、仲間があわててひっぱり上げることもある。男は速くて遠くまで飛べるロケットに憧れる。もっと具体的には、ロケットエンジンに興奮を隠せない。巨大なエンジンが執拗に何度も登場する。レギュラー・キャラの一人といってもいいほどだ。女はひたすら愛だ愛こそ愛があれば。だんだん声が枯れてくる声優さんの熱演を聞いていると、ああそうかもね、なんて思う。女の名前もアイだった。小細工はしないってことか。

オープニングでは、キャラクターの紹介をさっと済まして歴代のロケットをずらりと並べ、また宇宙開発の歴史的シーンを克明に描いていた。作品おもしろいからいいんだけど、作者の趣味と愛情が全開で、よくやったな、と感心する。ツィオルコフスキーがついた嘘、オーベルト社、フォン・ブラウン号、みんな宇宙開発の先駆者たちの名だ。

と、知ったかぶってみたのも、暮れに寝込んで、昔のマンガをひっぱりだしてベッドで読んだのが『栄光なき天才たち8<宇宙を夢みた男たち>』だったわけで、カゼ抜きでも無気力なあのころ、一冊をだらだら繰り返し読んでいたら、オープニングのロケットと人工衛星の名前がだいたい分かってしまった。タイミングが良すぎて、最後までつきあう気になった。

なんか初歩的だけど、重力に逆らって宇宙に飛び出そうなんて大した発想だと思う。鳥のように空を飛びたいわ的夢とは一ケタ違う。マネする相手(動物)もいない。垂直に上に飛ぼうなんてふつう考えない。花火くらい・・日本の花火の技術があれば最初のロケットも飛ばせたかもしれないな。

マンガ程度でも歴史を知って観ると、ちらほら登場する感情が狂った人々は、ふつうのアニメならドラマを盛り上げるために主人公を困らせたり自ら破滅して話を暗い方へ突き落としてくれるけど、2079年の宇宙では奴らがいないと、そもそもロケットが飛ばない。最初にロケット飛ばした人も、月に人を送ろうとした人たちも多少狂ってないとできることじゃない。月計画は当時の日本の国家予算並みの金をつぎこんだというし。

だから、この作品は客に媚びていない、キャラクターたちは僕らを楽しませるための演技ではなく自分の信念、欲のためにただ自然に生きている、じつは本当の主役はロケットだ、とか主張するつもりでいた。でも、さっき新しいのを一本観たら全然そんなではないなぁ。眠くて頭が働かない。なんでもいいや。

手元の『栄光なき・・』を開くと、フォン・ブラウン博士が月着陸船をガッとつかんで、本当は自分が乗って月へ行きたい!私は年をとりすぎた!と、わなわな震えている。でも、本当にこんなことやってたのかな。シリーズ全体を通して、こんな作者の空想・妄想・創作部分が絶妙で、大好きだ。