日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

大阪途中下車(後編)

地下鉄のドアが開くと女が乳母車を押して入ってきた。母親はドアに近い座席に座り乳母車をぼくの座ってる方に向けた。赤ん坊は丸々と太っている。歳はわからない。うまそうな匂いがしてきたので母親の方をチラと見た。乗客は4、5人しかいないし、パッと見て何か食ってるやつはいない。それに赤ん坊の様子がおかしい。母親は何か食っている。フライド・ポテトを食っている。ぼくから見えない位置に袋があるようだ。子供からも見えない。乳母車をちょうど反転させないと見えないだろう。子守に疲れたのか、うつろな目をして黙々とポテトを運ぶ。赤ん坊は手を母親の方へ伸ばす。泣きはしないが必死の表情で手を外へ出そうとする。背後から聞こえるムシャムシャと、うまそうな匂いだけがして、ワシャ気ィが狂いそうじゃ。

「フェリー乗船時の注意」貴重品は受付へ、甲板は滑りやすいので走らない、海中にゴミなどを捨てない、などなど十項目くらいの注意書きが客室の入り口近くに貼り出されている。実物はもっと優しい口調で、甲板は風が強いので夜間は十分注意しましょう、となる。毛布を取りに行って順番を待ちながら項目を上から読んでいく。7番目の項目が安穏とした空気を破る。

7・船が傾いたら反対側へ行きましょう

要するに、力を合わせて船のバランスをとりましょう、ということか。口調は変わらず優しいのに、内容はシビアだ。最初見たときは衝撃を受けた。ザコ寝部屋で寝転がったり騒いだりしている客たちは、いざというとき運命をともにする仲間なわけだ、と少し若い自分は考えた。動けない人がいたら肩を貸して一緒に「反対側」へ移動するんだろう。ドラマ的には、勢い余って柵をこえて海に転落するやつが2、3人いるだろう。そこへサメが来て話を盛り上げてくれるだろう。
船旅の魅力は尽きない。

夜間航海なので消灯時間が決まっている。午後11時、テレビの中の財前先生が有罪判決に対し、私は最善を尽くした!、と拳を振り下ろした机がスイッチだったらしく、机をドン、で灯りもテレビもOFFとなった。どんなコネクションを使ったんだ財前さん。ドラマの舞台は大阪。

実家のトイレにて。ウォシュレットを操作しながら、大阪暮らしの頃を思い出していた。まかない付きの下宿のようなところに住んでいて、食事をとる母屋(おもや)には家主夫婦とおばあさんが住んでいた。ぼくは大家夫婦にあまり好かれていなかった。というより、生涯出会った人々のなかで最もぼくを憎んだ人々であった。(いろいろ愉快な事情があった)
母屋のトイレにはウォシュレットが着いていた。当時は、ウォシュレットなるものを使ったことがなく興味しんしんだ。しかし、トイレが近いおばあさんの専用になっていて寮生は使えない。
ある休日のこと。母屋に人気はなく、やむにやまれぬ事情もあって母屋トイレを使った。寮に戻ると間に合わない。ドア前できょろきょろと辺りを見回し、突入、盛大に使用後の初ウォシュレットは、自動で止まると思って水流に耐え、ギブアップ宣言後も止める方法が分からず攻められ続けた。ドアノブにすがるようにして外へ出ると、困惑顔のおばあさんが黙ってこちらを見ている。夕食に行くと、やはりおばさんから指摘を受けた。あなたはどうして人の言うことを聞かないの。はいすみません気をつけます。

その一年は万事がその調子であった。何かつまらないことをやらかし、誰かがおばさんに報告し、夕食時、夜起きたことは朝食時にやんわりと嫌味を言われる。トイレと同じ一連の流れがあった。

ときどきコメントをくれるY氏は当時の保護者にあたる人です。寮生活を陰とすると、大阪の陽の部分をたくさん教えてくれた。感謝です。

# y氏 『いやいや、こっちこそ写真を撮る事を教えてもらったりして、いろいろ影響を受けたよ。人体の不思議展とかも陽の部分に入るンかなあ。』(2005/1/5 1:17)

# あらき 『いやイベントもそうだけど、やっぱyファミリーは強烈だったよ。ホームレスの正しい?見方も教わったな。街に出るのが楽しくなった。』(2005/1/5 16:4)