日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

大阪途中下車(前編)

豊田駅から学校を向いて一つ目の信号を右に下る坂道がある。ぼくの下宿から最寄りの駅へ歩くには、逆にその急ザカを登っていく。昨日、5時まえの電車に間に合わないと分かっていたのに坂では走ることができなかった。帰省のため荷物が重く、病み上がりでもあった。駅にたどりつき、券売機に入れても戻る五千円札をのばしのばし、もう3度目だというとき発車のベルが鳴り、あきらめて一本遅らせることにした。大阪までの近鉄もあきらめて、2千円増しの新幹線を使うことになる。じつは走れないこともなかったけど、そういうことが、できない。走って遅れたらもったいない、走って遅れたらくやしい、走って遅れたら汗かく。なんとかならないか。そのほか、間に合ったら自分のためにならない(自己管理について反省するきっかけを失う)、というのは言い訳として高度だと思う。だまされた。

のぞみは速い。乗り継ぎもよく、大阪では1時間の余裕ができた。梅田で降りて、阪急の地下にあるカレー屋へいく。いくつか店を人に聞いたけど、いつも結局カレーになる。病み上がりにカレー療法ということも考えた。昨日まで寝込んでいた胃腸カゼは、熱→腸→胃という順に症状が進んだ。腸が悪いのは、カゼひいてからめんどうな自炊のかわりに油っぽいコンビニ弁当を食べるせいかと思い、お粥(かゆ)を作った。しかし、どういうわけか胃が悪くなった。すこし吐いた。大阪のこの日もまだ胃の辺がもたれる感じがする。甘やかすといけないのかもしれない。そういえば、熱出しながら、おかずと一緒に食べるはずのご飯まで肉に覆われる高カロリー弁当を、毎日ばくばく食べて幸せだった。カレーくらい刺激があったほうが、この場合いいこともありえる。

カレーは効いたようだ。また、最後のひとすくいで皿が空になるまで汁と米のバランスをベストに保つことができた。心身ともに満足。西梅田まで歩くことにする。浪人中大阪に住んでいたとき、この辺りをよくうろうろしていた。路上ライブを聞きにいつもの歩道橋下に行ってみたが、この日は居なかった。歩道橋の上から音が聞こえる。階段のところに「不動パフォーマンス?」中のパントマイマーが立っていて、かなり接近して気づき驚く。全身を黄色のペンキで塗っていて、季節がよければパンツ一枚でいるんだろうけど、12月は寒くフード付きのコートをかぶっており、表現としては中途半端で、ただただ怪しい存在になっていた。まばたきを見たアナタはラッキーです、と足もとの紙に書いてある。目を見られない、怖すぎる。

本日のバンドはラッパー付きの5人組による前向きな歌(なんだそれ)。ジャズとかなら一人立ち止まっても自然に振舞えそうだ。今回は若くて健康で、ぼくが居てはいけない気がする。ゆっくり逃げる、その理由がもう一つ、3人しかいない観客が皆変だ。寒くて遅いから3人はしょうがない、バンドはよくやってる。そこには、シャレ気のないやせたマニア風の男2人組と、小太りのじいさん、中年を超えていた。小さい女ボーカルが箱に乗って、愛5夢3自由2について歌う。バンドは寒いのに元気に動き回る。マニア風はショルダーバッグのひもを握って、黙ってただ見つめる。その横で白髪角刈りのじいさんが、ステップ踏んで踊り狂っている。じじいはノリノリだ。たぶん酔ってはいなくて、純粋に楽しくてああなるんだと思う。これがOSAKAだ!いいもん見れた。

JR近くのワッフル屋に寄った。昔のように。列に並ぶ気まづさは変わらない。バンバンと音がして振り返ると、ホームレスらしいおっさんがいて、訴えるような目つきで僕のとなりの女性客をにらむ。そしてピョンピョンと2回跳んで音をたてる。それだけ。前から順、のようだが、ぼくは飛ばされた。OSAKA!

# CErium 『 自分は走って間に合わなかったパターンで、いつも無駄骨折ってるなぁ。でもそれが一番反省度が高い気もする。 カレー食べた後のフェリー乗船が心配なんだけど、大丈夫だった?』(2005/1/3 2:57)

# あらき 『ナイス・コメントをありがとう。まわりには分かってくれる人が少ないから。フェリーは大丈夫。でも、乗り遅れて遠ざかる船を見送れば、反省度は最強だろうな。』(2005/1/3 3:14)