日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

とりあえず兄は落ち着いています。

どういう風にこの日記を続けるか考えているところですが、ごく親しい人たちの前から隠してしまうのはまだ早いと感じます。言葉を選びつつ書きたいと思っています。もう少し待ってください。
パスワードを入力するようになるかもしれません。

(しかし、兄は寝ていてもすごい影響力(?)です。兄のおかげで連日家族は大論争を繰り広げています。きっと夢の中で『やれやれ』と笑われている気がします。)

ありがとうございます。
中村先生、お久しぶりです。
葬儀の日は兄を最後まで見送って頂いてありがとうございました。葬儀屋さんが、火葬場を出て30分後に10キロ離れた自宅で法要をするというスケジュールを組んでくれたおかげで、ちゃんとお礼を言う時間もありませんでした。
最初に先生を見て、初めて会った気がしなかったのは、兄のアルバムを見るうちに記憶に刷り込まれていったんだと思います。一緒の写真が多いということは、それだけ兄と親しくして頂いたということでしょう。
最近では僕たち家族も落ち着いてきて、生活のペースも戻りつつあります。弔問に来たお客さんと昔話をしたりアルバムをめくっていると、まだ兄がどこかにいるような気になります。不思議に、お墓をどうするか話していてもそう感じます。「思い出の中に生きる」ってこういうことか、と思いました。
また、秋田での大学生活は家族にとって空白の6年間でした。しかし病気をきっかけに、秋田時代の友人から兄の知られざる一面をたくさん教わることになりました。健在ならば絶対に家族には隠すだろうということも(バンドで演奏中を撮ったビデオなんて特に)・・。家族は生きている人間にするように驚いたり、うなずいたりします。兄にすれば「死んでも死に切れない」という感じでしょうが(笑)
先生からのメッセージをプリントアウトして家族でまわし読みしています。先生の記憶の中にも家族の知らない兄がいると思うと、思い浮かべる兄のイメージがますます生き生きとしてくるようです。(2/10(火) 23:46 荒木巧也)


そうだったんですか
毎日少しづつ更新していた当時は、プライバシー全開の内容だったので知らない人が見てしまったらどうしようとビクビクしながらでした。それで検索にひっかからないように細工してたんです。でも、内容によってパスワードつけたりすれば良いかもしれません。やってみます。(肝心の内容が寂しいんですが・・)(2/14(土) 22:26 荒木巧也)


はじめまして
こんばんは。荒木の弟の巧也といいます。
兄は大学時代ほとんど実家に戻らず、学校のこともあまりしゃべりませんでした。兄の友人に聞くと家族に言えないことが多々あったようで、秘密にしたかったのかもしれません。「楽しかったこと」とは兄の酒乱癖のことと推測します。いかがでしょう?
看病中のことなどお伝えしたいと思っています。(のんびり屋なのでお待たせしますが・・)逆に安部さんの知る兄のことを教えてもらうかもしれません。(3/5(金) 21:26 荒木巧也)