日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

静かです。

22日夜に食堂で、25日夜ベッドで食事してからほとんど食べていない。(ゼリーは食べた)26日夜手の不調のとき「タカ、これ(手)引っ張って。」「タカ、分かるやろ?(見て腕の変な所を直してくれ)」と言って、僕が「うーん(分からん)」と答えてから、まともに会話もしていない。腕を動かすこともない。代わりに痛みなどもあまり言わなくなった。
期せずしてゆとりの生まれた荒木家の話題は「兄がどんな反応をしたか」。返事が返ってきた人は少し自慢げに話す。

父:夜中、お茶を飲むか、と聞いたらうなずいた。その後見えない茶碗でお茶を飲んでいた。

母:兄の部屋でCDとDVDが両方かかっているのが気になった母は、開眼度120%の兄に「質問するから『はい』の時はまばたきして。」というときつく目を閉じた。しかし気をよくして「宗次郎(オカリナ)がいい?」と続けると無反応だった。「それともポール?」も無反応。ややこしいことは嫌なようだ。


ベッドから見える黄色の木

姉:朝「昨日はよく寝れたみたいねー?」と聞くと「・・おお」と返事した。「よう」と声かけると「おう」と答えた。空気茶碗も目撃。(これって落語みたいですね)

弟:「兄貴おはよう。」に目線を向けた。だけ。

15時:少し熱が出て注射をする。冷えピタ、氷枕、うちわであおぐ。じっとしていた兄だったが「暑い!」といって布団をどかそうとした。しかし弟は「おお兄貴がしゃべった、動いた。」と喜ぶ。服も脱ぎたそうだったが、汗もないし冷えるからダメと父に止められ我慢している。ためしにうちわを手渡すとパタパタ扇いでいる。そして前方を見つめる。僕の方を見ている。意識がはっきりしたのは良いけど、我に返って自分がなぜこんな状態なのかと考えていたら、もしくは僕に問いかけていたら、と心配になった。それくらい真っすぐ見つめていた。

17時:父母弟で「しゃっくり会議」。普通の人にはただのしゃっくりでも、兄は呼吸をさまたげるので要注意だ。意外に治す方法は確立されてないそうだ。

18時半:我が家のことを心配していつも晩ご飯のおかずを届けてくれる母の友人がいる。おばさんの料理はおいしくて遠慮もせずしょっちゅうお世話になっていた。クリスチャンで、兄が許せばいつかそばでお祈りをしたいと言っていた。以前聞いたとき兄は断った。しんどい時に話したくなかったんだろう。今日もたくさんおかずを持ってきてくれた。気を遣わせないようにドアのスキ間から手渡すと逃げるように帰ってしまう。それを呼び止めて、兄は眠ったままだけど、お祈りしていただいた。少し覚めていたのか口元をしめて、じっと聞いているように見えた。

20時半:寝ながらしゃっくりが始まった。親父が見つけてきた薬を使う手もあるけど、薬だと僕や母にはできない。これまで仕入れた民間療法を試験してみよう。冷水と『柿の葉茶』は効果アリだったけど、今日は水分を飲みこみづらそうだ。つぎに弟の友人の教えに従って舌の先に塩をのせてみた。兄の協力も得られ、効果は100%とうたって舌を出してもらった。分量が分からないのでちょっと大目の「少々」をのせる。止まらない。もう少し待ってもらおう。姉と次の方法を相談しているうち、兄の顔が少しづつ引きつっている。姉「どうした?しょっぱい?」兄は我慢の限界という感じで顔をゆがめ、「しょっぱーい!」と叫んだ。叫んで、すぐしゃっくりが出た。しかし、この時から兄に表情が戻った。

23時:少し熱が出た。薬を入れて氷枕をしてうちわで扇いであげる。昼まではぐったりして腕を上げることもできなかったのに、弟からうちわを取り上げると自分でパタパタ扇ぎはじめた。これは翌朝「すっかり弱ってしまった兄」の話題の中で反論するのに役に立った。まだまだ。

姉を呼んで「どれぐらい有名かなあ?」と聞いた。弟「誰が?兄貴が?」そうらしい。なんの夢だったんだ。

翌1時:当番の弟が寝ようとすると兄のしゃっくりが始まった。息がしやすいようにベッドを起こすとしゃっくりが止んだ。しばらくしてまた始まったので今度は下げてみた。今度も止まった。なんとも怪しげな方法だけど無害なのがいい。

こんばんは
もう兄貴は話せないんじゃないかと一時心配しましたが、今日(29日)は何度かしゃべってくれました。不満を言う時ははっきりとしゃべりますが、めんどうな時は知らんぷりのようです。少しほっとしました。群馬は風があるんですか。兄のいた三重も寒い土地ではないですが、冬にナントカおろしといって一日中風が吹き、南国育ちの僕はそのせいで見舞いがおっくうになるほどでした。高知は田舎で何かと遅れた県ですが、病人には住みやすい所かもしれません(12/30(火) 2:15 荒木巧也)