日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

しゃっくりが再開

8時:夜中起きなかった。寝る前に右に寝返りをうたせて、朝もそもままの格好だった。水も欲しくないという。色々言わなくなった。静かだ。
時々ノドに何か引っかかっているように空気を飲み込んでいる。だんだんその間隔が短くなって、表情には出ないが苦しそうに見えるので姉を呼んだ。しかしベッドを起こすと落ち着いた。
部屋はカーテンがしまって薄暗い。それを「明るい」といってわずかに開いたスキマを閉めさせた。遮光カーテンでかなり暗いのにまだ「明るい」という。何度も言われていると、痛みを訴えるのとは違う不安感が襲ってくる。誰だか偉い人が死ぬ直前に「光を!」と言ったのは、瞳孔の調節ができなくなって暗く感じたからだ、という夢の無い話を読んだことがある。兄は大丈夫だろうか?・・しばらくして行くとカーテンは開いていた。この時はただ眠かっただけのようだ。

13時:兄はしゃっくりと飲み込みとゲップをセットで繰り返す。食べようとしないし、ほとんど眠っている。起きると何度か両手で空気をすくって顔を洗っていた。しゃっくりに「柿のヘタの茶」はよく効いている。でも飲み込むのが難しいので使いにくい。

15時:尿のバッグを入れ替える。少し熱あり。

今日は「明るい」「お茶」「高菜のアイスたべたい(?)」くらいしか兄の発言を聞いてない。しかし帰って来た親父には詳しく自分の状態を報告したらしい。「今日は首が痛かったりむせたり熱が出たりを繰り返した」黙っていたけど首痛かったんだな。

夕食まで親父が兄のわきに立ってひたすら「見つめて」いた。「患者を診る」とはこのことだったのか。兄は起きたくても起きれず、たぬき寝入りのようにも見えた。

夕食もとらず。兄抜きの食卓では、母が最近兄の横顔が祖父に似てきたと言った。さらに元旦が祖父の命日だったという話も出る。なおこの二人は別人なのでご安心を。

となりで処置している姉のハンテンをグイグイひっぱる。呼んでいるというよりは、むしろ「オレのハンテンを返してくれ」と言いたげだった。

翌1時:しゃっくりしながら寝ている。横向きに寝ると少し収まった。