日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

仕事納め

昨夜11時ごろから一度も起きなかった(起きたかもしれないが、人を呼ばなかった)あまりに静かなので母が頬をペタペタたたいて声をかけたそうだ。その後様子をみながら部屋を掃除し始める。掃除機を持ち出してガーガーとやり、ベッドの下でガンガンぶつけても起きる気配はなかった。そのうち目を開いたので「おはよう」と声をかけるが反応はない。親父もきて優しく声をかけたのに視線は別のなにかを見つめている。父「聞こえても返事することまで頭がまわらないんだろうな。」

11時:目が開いたので弟が声をかけると表情は変わらず、ふとんの上に出した手の指を一本だけ上下に振った。無駄な労力は使いたくない、と弟は読んだ。その後入ってきた姉に「・・オレ、スカパー入るの?」と尋ねた。姉「入りたいの?」と返すとまた同じことを聞いた。

17時:ずっと寝ている。目が開いても天井を見つめて何を言っても反応しない。母はもう話せないのかと悲観している。とりあえず夕食のしたくを始める。夕食はエビだ。余ったエビの頭の使い道を兄の部屋で相談していたら、兄が「みそしる」とつぶやいた。判断できないわけじゃないのか、と思った。おつげ通り味噌汁にしたらうまかった。

20時:今日も食べる気がない。兄抜きで食事中に姉がのぞきにいくと起きていて服を脱ぎたいという。いつも通り着替えて最後のソデを通そうとすると動きがなんか変だ。一本のソデに両方の腕を入れようとする。兄貴、そりゃ無茶だ、と始めは笑っていたけど様子がおかしい。すごい力が入っているし何を言ってもやめようとしない。足と同じ不快感が腕に来ていることが分かった。足の時と似た感じなら、きっと今も「捻じ曲がってからまったり、ヒモでグルグルに巻かれている腕」をほどこうとしていたんだ。病気はますます進んでいる。

手のことはその後言い出さなかった。
母と「兄は痛くても表情に出したり、人を呼んだりできないんじゃないか」という話になった。そこで弟は思い出す。手の不調を言い出す前に母がおしぼりで顔をふくと、母は一日の汚れをコスり落とすつもりなので、兄は顔をゆがめて必死に抵抗していた。楽観的だけど手のことがなければ今比較的穏やかなのかなと思う。