日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

聖人

兄はずっと寝ている。弟は昼ね。兄は時々おきては天井をみつめてブツブツ。母は兄の言うことが分からず話がかみ合わない。「モリは感覚が鋭敏になって聖人(仙人?)のようになってるから、母に見えないものが見えるんだよ」と兄に話していた。
多くは書けないが今日は胃腸の調子が抜群であった。昼ね中も大変だったようだ。定期的な血液の検査の値は健康そのものだし、肌は母姉がうらやましがるほどのキメと滑らかさだ。問題は病気だけ、というのは当然か。

15時:起きて「どっか行こう」と言うので姉と母が居間につれてきて『爆笑・投稿ビデオSP(録画)』を鑑賞する。しかしほとんど画面を見ずにぐったりしている。ベッドに戻るか聞くと、ここでいい、とつぶやいた。弟の形の悪いシュークリームを少しかじってコーヒーを飲んだ。久しぶりの食事(?)だ。机の上の黒豆のおかきの子袋をとっては一つづつ破りはじめた。母が止めると2,3枚口に入れてギブアップしベッドへ。「子供に戻っちゃったみたい」と母。でもベッドから3時間も降りていたのは珍しく、足の調子がいいんだろう。

18時:ベッドで眠そうな兄のところへ、弟が手製のローストビーフを持っていく。「肉汁があふれますよー」といいながら切ってみるが何も出ない。兄は今これを食わされるのかと顔をしかめた。「噛むだけで出せばいいから」と薄切りを口に押し込むとしばらく噛んでティッシュに出した。本当に出すとは思わなかった。

20時:「ねるとん」を見てるか見てないか分からないがチャンネルを変えさせなかった。「はやく家に帰ろう」と言い出した。ここが家であることを説明すると、うんうん、とうなずくが、すぐに「はやく行こう」という。ベッドが病院みたいだからかな。作戦を変えて「僕も最近ずっとここにいるけど、なかなか居心地いいよ。今出かけるのも寒いし今日はここで寝ようか。」あまり反応はなかった。

### 12/27 追加
久しぶりの夕食を食べた。この食事から2日間なにも食べてない。(栄養は点滴から入れているので大丈夫だけど)これは記録せねば。

献立:「大丸の」サンドイッチ、おでん(はんぺん、大根)、りんご入りヨーグルト

自分から食べたいとは言わなくなった。午後9時あたりに「どっか行こう」と言い、じっとしていたくなさそうだったので食事をすすめてみた。興味なさげだったけど、食べ始めると結構よく食べる。丸一日食べてなかったし。好物のはんぺんは真っ先に平らげた。同じく好物の「大丸の」サンドイッチは、一つ口にくわえて噛んでいる間に別のをヨーグルトの中にどんどん放り込んでしまう。母が「なんでそうするの?」と聞くと、もぐもぐしながら「(こうした方が)おいしいから。」と答えた。大丸サンドの半分がヨーグルト漬けになり、TV見てるうちに気が変わった兄が「もういらない」と母に皿を渡した。

発病4周年記念で
兄の病気の経過を簡単ですが表にしました。ここです。少し気がめいるかもしれませんが、兄の戦いの記録を見てやってください。
表を作ってることを母に言うと「プライバシーだから」と良い顔をしませんでしたが、限られた人しか見ないことと、医療関係者が多いことから「何があったか覚えていて欲しい」と納得してくれました。
この4年間を隠してしまったら兄について重要な部分欠けてしまうと僕は思います。(というのも以前は兄弟の関係が薄かったからですが・・)逆に昔の元気な姿を知るかたは見たくないものかもしれません。このページ自体、弟の自己満足でやっているところも大きいと感じています。余計だと思うこともやってしまいますが、街頭演説と同じでそっと通り過ぎてください。
返信なども負担にならない程度でかまいません。


よほどの大イベントかと・・
あの時は、祖母の葬式に出る、という「長男の責務」と「秋田行き」の間で苦しんでいたようなのでよほど大事な集まりなのかと思ってました。
その後の法事では、この時のことが後ろめたかったのか、実に神妙にしてました。(12/28(日) 0:13 荒木巧也)