日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

かまと婆さん

1日ほとんど寝ていた。

夜は眠れなかったようだが、早朝から寝始め、昼過ぎに起きるがもうろうとしている。ほとんど意識もなく言葉も聞き取れない。かろうじて手の動きで意思を伝えられる。「メガネとって」は眼鏡かけるしぐさをする。首も支えられなくなって、ガクッと下を向いている。そろそろ休むかなと思ったら手が動いた。何かをすくってる、スプーンの動きだ。好物のアイスか?「アイス欲しい?」「カレー・・」ちょうど残っていたきのこカレーを2口ほど口に入れ、スプーン持ったまま寝てしまう。「口に入れた」だけのカレーを姉がどうにか出させて、また眠った。それからは起きても水のむくらいですぐ寝てしまう。睡眠不足なんだろうけど心配になる。時々母が見にきて脈を測っていた。兄の部屋でパソコンいじってる弟に「たまには兄のこと看なさいよ」と注意した。

### 後日追加分 
長寿日本一だった「かまと」さんは2日ずっと起きていて、2日間寝続ける生活をしたそうだ。兄はそれを実践している。兄には悪いが、家族の朝食はおかげでゆとりだった。新聞を読んでいた母が「今日は月齢28.2日だって。」とつぶやいた。3日ほど前、調子の悪い兄をやっと寝かせて一息ついた時「最初に倒れたときも今日みたいなキレイな三日月だったわ」と言った。そして「これは母のカンだけど・・」と前置きして「新月のころに何かあるって予感がする」「母のカンは当たるのよ」と言った。ひとまず1ヶ月繰り越しとなった。この先、正月や父と弟の誕生日などいくつか区切りがあり、それらが近づく度に同じことを考えるのだろう。

夕食はいらないというので兄抜きで食べる。食事中兄の様子を見に行くと起きてゴソゴソしてて、弟を見つけると「・・みんなを呼んで。」と言った。姉を連れて戻ると寝てしまっていた。何を言いたかったんだろうか。

10時:話しかけても返事をせず表情も乏しいのでYESとNOだけでも伝えられるように母と姉で手話を教えていた。YESは「指で丸を作る」NOは「バイバイと手を振る」という風に。NOを教えたらずっと手を振っている。笑っていた姉がふと気がつき「もしかして私にあっちいけってこと?」兄はうなずき、さらに「しっしっ」という仕草までつけた。

11時:返事はなくとも母がベッドの横について何かと話しかけている。弟が風呂へ行きながら部屋によって「兄貴もそろそろ風呂入ろうなー」と声をかけると反応があった。隣の母に何か言っている。よく聞いていると「タネビ・・」と言っている。「ちゃんと・・消すように・・」種火をちゃんと消せ。さらに「火事に・・なるぞ・・」どうしちゃったんだろう。元はもっと豪快でこんな細かいことは言いそうにない人間だったのにね。荒木家にはオレが居なくちゃだめだという気概をかんじさせる言葉でした。しかし笑ってしまった。

その他、今日は円座を姉が買ってきたり、兄の散髪を母行きつけの美容院の人にやってもらうかどうか相談した。しかし兄も嫌がるだろうし、知らない人に見せたくないのもあって止めた。

心配かけます・・
岩崎先生、ありがとうございます。あれこれ言い訳を考えましたが、文章力の無さで行き詰ってしまいました。でも書くことにします。兄貴に悪いなあ、ということを心に留めつつですが。
そもそものきっかけは、メールで兄の病状を書いていて、なんか違う、と感じたことでした。どこが痛いとか夜眠れないとか書いていても、いつも接している兄の姿とはズレている気がしました。病気で印象がガラッと変わることはありますが、兄は日替わりでキャラを変えます。少年であり幼児であり老人でもあり、天性のコメディアン、パントマイマーにもなります。(NHKで有名な老舞踏家のドキュメントを見ましたが、兄の動きはそれに迫ります)単なる「病人」の2文字でくくられるような、社会から切り離された暗く沈んだイメージじゃないことを伝えたいんです。
僕が気をつけなければいけないことは、岩崎先生たちと兄の間の信頼関係があるから少し行き過ぎたことも書けるということと、兄の奇行をネタにするなら病気でつらい部分もちゃんと書くこと、また逆の「善き行い」にも触れること、などでしょうか。
ぼくら兄弟の関係は「弟が非常識なことをして、兄がそれをバカにする」です。少し恨まれるくらいでいいと割り切ってるところもあります。(12/21(日) 22:10 荒木巧也)