日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

5日ぶりの風呂

9時半: 部屋へ行くと兄は起きていて、注射の準備をする姉と「めざましテレビ」を見ていた。兄はよく眠れたようで、5時と6時半に起きただけだった。いい顔をしている。カッターシャツを着たまま寝てしまっていた。よれよれだけど、着るものでこんなに印象が変わるもんなのか。朝のあいさつが病人用じゃない「兄貴おはよう」になった気がした。返事のかわりにこっちを向いて手を振ってくれた。

よく寝て頭すっきりなのか「足をマッサージして」とか「スプーン持ってきて」とかがハッキリしている。今日は調子がよさそうだな、と思っていると、ベッドに上がってマッサージ中の僕の顔にスプーンが迫ってきた。口元で「何か」をすくうと慎重に自分の口にもっていった。真剣なので姉と二人笑いをこらえた。息=生きる力、ということで僕の生命力を少し持っていったのかも。
  
朝食:(食堂にて)
はちみつヨーグルト、いちご、食パン(ごま、ブルーベリージャム、バター)、チョコレートケーキ(姉製)、ハンバーグ(200グラム、昨晩の残り)
ほぼ完食。

「姉ちゃんのケーキは初めてや」というので姉が「そんなことない、誕生日のケーキも作ったでしょ、2段の。」というと思い出した。そのケーキは味は良かったが、とにかくすごい迫力だった。それも思い出したのか、みるみる顔が崩れて満面の笑みとなった。姉は不満げであった。


ポールは歌い、兄は磨く

11時半: 食後ひさびさにシャワーすることになった。風呂を暖めている間ポールのDVDをみる。「この『ハローグッバイ』はビートルズの曲?」ときくと「ちがう、ポールのバンドのだ」と教えてくれた。

12時: シャワー。兄が入る前には時間をかけて浴室をあたためるのだけど、さすが12月、なかなか暖まらない。寒がるので大急ぎで出た。ベッドで消毒などしてるうち熟睡。

18時: 兄起きる。意識はっきり。「今何時?」「6時」「ということは昼間か?(?)」「夕がた」「えーっ!・・オレ時間感覚、そうとうおかしくなってるわ」TVの天気予報で明日は晴れらしい。「天気良かったら外で陽にあたって体内時計なおそうか。」と言ってみたら、うんうんとうなずいた。寒くて無理っぽいけど、車椅子のればそこそこ自由に動けることを教えたい。首が痛いというので姉がみると凝っているらしい。シップしたりもんだりする。食事はあとにすると言って寝てしまった。

20時: 兄起きる。兄の部屋のTVつけると「北の国から95」をやっていた。足が不調。弟はマッサージ、姉は薬で格闘し、ようやく落ち着いたころは、蛍が新巻鮭を手に泣くラスト近くだった。寝る。「北の」は兄も好きらしく「ストーリーが分からん」といいながらも見ていた。

24時: 起きる。足不調。「足がしびれる」「なんとかしてくれ」今日は僕が付き添い当番だ、長い夜になりそうだ。姉が薬を入れるとしばらくして寝た。

翌3時:起きる。目ぱっちり。「アシ・・」また足が悪いのか、と思ったら「アサ・・アサメシ。」なんと朝飯だった。

(漁師時間で)朝食:
サンドイッチ(三角の2枚分)、イチゴ、ハチミツ入りヨーグルト、大根の煮物

大根がクチビルと歯の間から入っていかないので指で押し込んであげると「ありがとう」と返ってきた。なんか新鮮なコミュニケーションだと思った。

翌4時:NHK動物番組 サイの映像のとこで「水牛の・・」とナレーションが言うので兄に「水牛ってサイのことだっけ?」と聞くと「バ・・バッファロー・・」、頭が混乱してきた。
足の不調が始まった。さすっているとウトウトして寝た。

翌5時:どうせ起こされるのでこの日記をつけていた。パソコンを見ると5時15分が最後になっている。その後足がひどくて目を覚まし、弟では役立たずと思ったか「おーいおーい、誰かー!」と大声を出す。こりゃ駄目だ、となだめていると、さすが親子、父が起きてきた。薬を入れると落ち着いてくる。弟ふとんに倒れる。6時すぎ。