日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

「にがい」感じ

大きい会議ほどうまく行かない。型通り報告しても若い人は聞いてくれないと思って、ちょっと崩した感じにしてみた。グダグダになるのは実力でしょうがないけど、それ以上にグダグダにしてみた。「止められるまでしゃべろう」と思って本当に止められたし、後で注意も受けた。能力のなさは仕方ないとして、こういう子供っぽさが抜けないのはなんでだろう。

新年度に向けて人が入れ替わる季節。毎年人が抜けるたびに何とも言えない後味の悪さがあって、理由を考えていた。仲間だもの、というの以上の「にがい」感じがする。

職員より年長者の多い知的障害者の成人入所施設は、自然でないもので満ちている。差別、管理、矛盾、ごまかし。利用者も職員もダメにする環境。隔離された世界で、ただただ時間と感情を浪費する場所。

知的障がいのある人と「個人的」に付き合うのは本当に難しい。保護者と、関わる事業者に完全に通じて初めて「個人的」に付き合える。矛盾ばかりだ。中で働かなければ近づくことはできない。それでここを選んだ。他に選択肢はなかったけど「時期」は選べたので、思いついてすぐお願いした。

矛盾だらけで人の力を奪う場所。でもそれが福祉の仕事のコアだと感じた。就職当時は人がいっぱい辞めて雰囲気は悪かった。誰に聞いても「就職するの?やめといた方がいいよ」と言われた。ドロドロに片足を突っ込んで、そこを軸足に他でやりたいことをやるんだ。だから悪くていいし、このままで良くなってはいけないと思った。全国にたくさん残っている古臭いけど圧倒的多数派で、どうにもならない負の現実がここにもある。仕組みから間違ってて、どうにもならない中でもがき続ける。

辞めていく人を見ると、自分の2つの勘違いに気づいてけっこう滅入る。みんなここでいい仕事して報われたいと思ってる。自分は出発点が違っていた。ここでは何もするつもりがなかった。いっしょに頑張ってきたつもりだったけど、全然違う方向を見ていた。違う言葉をしゃべっている気がしてくる。何も分かってなかった。

何もするつもりがなく言われるまま淡々と働こうと思っていたけど、情が移ってきて、もっと良くしたい、利用者は自由で、職員も働きやすい所がいい。なんかそうなるような気がしてきた。すっかり施設職員になって生活の一部になっていたから。でも最初のところを忘れてしまっていた。知らないうちに仲間は力を奪われ弱っていっていた。自分が「人の力を奪うもの」の一部になってしまって、それに気づけなかった。そもそも助けるつもりもなかったんだと気づいて、何もかける言葉がない。

人が決めたやり方通りにどうしてもできない。中学くらいはそのため努力したけど、それはやめた。でも、ここでは、この業界では「こうしたほうがいい」やり方に従っては良いものはできない。それくらいの確信がある。だからこの仕事は合っている。でも人にその屁理屈を分かってもらうのは難しい。だから、もう無理だ、と言われたら、独りになるのはそいつなのに、なぜか自分が独り残された気分になる。

意味不明だけど書いたら個人的にはすっきり。