日記など 2002年から

福祉の話題が多いです。東京都の西部・多摩地区が行動範囲です。

富山2

富山は自然が厳しく豊かではなかった。神通川の氾濫や冬に山から吹く風など、定期的な自然の脅威にさらされてきた。自然と合理的に考える伝統が作られた。少ないパイを獲り合わず、助け合うことも。

松下電器の「二股ソケット」的な看板商品が万能薬「反魂丹(はんごんたん)」です。中国から伝わった調合で「あの世にいく魂を引き戻す」という意味だそうだ。今も売ってるけど名前だけで消化剤です。

反魂丹が売れたのには伝説がある。参勤交代で江戸城にいた富山藩の殿様が、会合中に腹痛を起こした他藩の殿様を薬で治してしまった。トップ営業だ。伝説が本当か定かでないけど「反魂丹役所」という役所を作って品質を藩が管理したのは事実。薬はよそでも作っていたし、おもな薬の調合も他から学んだものだけど、国を挙げて「輸出産業」を育てた。

寒い地方では風邪薬を多めに、こどもがいれば腹薬とかキズ用とか。家族構成に合わせて。使った分だけ後払い。この「先用後利」のアイデアも借りてきたもの。立山信仰の僧が修行者の宿にお守りなんかを置いて売れた分だけ後で宿から仕入れ代をもらっていた。いろんなアイデアを組み合わせて出来た「システム」が他にはないものになった。

競って潰しあわない。登録制の個人事業主がエリアごとに割り振られている。同じ家に2人以上が営業かけるのは禁止されている。お客さんからしたら、馴染みの売薬さんが定期的に相談に乗ってくれて、おみやげまで持ってきてくれる。おみやげはおもちゃとか絵カルタとか紙風船とか。知らない土地では、やっぱり子供から入るんだな。でも安くはないかも知れない。薬製造、売薬さんはしっかり儲かってる。三方良しというやつ。

神通川河口の「回船問屋」の街並みが保存されている。最近陽の目をみないStridaで町を走る。雰囲気のいい店に入ると乾物屋でぼくには用途がない。おばあちゃんが出てきて再現できない富山弁で「なにをお探しですか」と聞かれて困る。昆布が置いてあったので「資料館で見ましたが、昔から昆布を扱ってたんですよね。船で運んで」そうながよ。

他藩に物を売るのは国外に輸出するようなもので、お金が出ていくから相手は喜ばない。売薬さんが入る代わりに名産品を買ってもらう。北海道(松前藩)から昆布を買って、富山売薬のお得意さん薩摩藩に高く売る。薩摩藩は昆布を加工して中国に高く売る。その先もある。

新しい地域に売り込みをかけるときは都市部を避ける。既存の薬屋がある。「競って潰しあわない」豊かだけど不便な農村部を開拓する。最初は万能薬「反魂丹」だけ持っていくそうだ。市場調査。どんなとき使ったか聞きとる。腹痛か頭痛か発熱か。それに合わせて専用の薬を持ってくる。富山のくすりの評判が良くなってきた所で都市部に売り込むそうだ。

関西エリアのルート図があって滞在日数などが書いてある。農閑期に2,3週間かけて回る。薩摩藩は2,3ヶ月かけて回る。お客さんの家族構成や配置した薬の種類について「懸場帳」というカルテがある。仕入れた薬とこれさえあれば一通り仕事ができる。引退するときの「退職金」にもなったとか。エリアを継ぐ人に高く売った。

明治維新の下地を作ったのは富山売薬」というのが最大の富山売薬伝説です。そういえば出島以外の交易は鎖国でだめなはず。薩摩藩が売った昆布はどうなるか。琉球で昆布をすりつぶす。良い昆布は中国で採れないらしく、薬の原料として高く売れた。そして中国から質のいい薬の原料を買ってきた。

富山商人は儲かってるので高く高く買う。薩摩藩が儲かる。製鉄所を作り、大砲や鉄砲を作る・・詳しくないので省略・・明治維新!密貿易で明治維新!その裏技で富山商人は、他には作れない良質の薬を作り向かうところ敵なしと。でも競わない。すごいなあ。